どのように辿辿?
旅の後半です。
キトラ古墳の観覧設備の立派さと高松塚古墳のひなびた感じの違いは何かと思い、
天武・持統天皇陵と神武天皇陵の大きさの違いに驚き、
橿原神宮の神武東遷図をみて、このような物語があったのかと再認識し、
箸墓古墳の周りに林立する、桜井市の幟(のぼり)に、うさん臭さを感じた次第です。
以下、4年前に書き留めた内容です。
キトラ古墳
立派な建物に小さな壁画を展示。
発掘過程で、壁にカビを生やし壁画をかなり消失してしまった。
高松塚古墳
飛鳥歴史公園内にある、きれいな壁画。
こちらも、発掘後の保存が悪くカビを生やしたそうだ。
天武・持統稜
歴史原点の小さな御陵明日香の地が当時の中心地だったのだろうが、稜は大きくない。
石舞台古墳
蘇我馬子の墓と言うが、覆う土が無いのは?
蘇我氏撲滅のため? 何らかの土木工事のために土を剥いだ?
元々、覆う土がない造り、途中で土で覆う作業を止めた?
酒船石・石垣・亀石造物
土木好きの斉明天皇に関わる謎の構造物。
丘の上の酒船石は、祈る日時と方位を求める器台、or酒造り台?
丘を囲む石垣は、この場所をしっかりと取り囲み、丘の下の亀石造物は運河に結ばれる。
ボランティアさん曰く、朝鮮半島との関係、国内の問題に腐心する斉明の祈りの場。
飛鳥寺
広大な敷地だった跡を偲ぶ、今は簡素な寺。
蘇我入鹿首塚
飛鳥寺のすぐ外にポツンと塚がある。
首がここまで飛んできたという説もあるようだ。
襲われたときの入鹿の無念は怨念となってイルカ?
橿原神宮
広い敷地と立派な建物がきれいに整備されている。
紀元2600年祭を引きずっているような雰囲気。参詣する人は少ない。
回りの壁に、神武東征伝説の絵を展示・・・熊野訪問と合わせ興味大。

橿原神宮
神武天皇陵
そばの山(丘)に、綏靖、威徳などの御陵もあるという。
橿原神宮と合わせ、明治、戦前の日本の光景が目に浮かぶ。
大変立派な御陵、天武・持統よりも大きな理由は?

神武天皇陵
箸墓古墳
訪れた時は、卑弥呼の墓だと聞いており、そうなんだろうと思っていた。
箸墓古墳の回りには、「卑弥呼の墓」ののぼりが多い。
若干違和感があったが、桜井市のPRの熱心さの表れと受け止めた。

箸墓古墳左と方丈号
伊賀上野城、忍者屋敷、芭蕉記念館
城づくりは、地選→地取→縄張→普請→作事と進む。
藤堂高虎は、特に縄張(=設計)に秀でていたとの事。
三度目の忍者屋敷は外国人で一杯。
芭蕉は間諜?でも、山寺、最上川他の句はしみいります。
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