神武東征の実相
-饒速日から神武、崇神に至る鉄の路-
2017年に熊野花の窟屋神社を訪問して以来、日本神話の世界から飛鳥時代まで、特に文字に残されていない歴史に興味が湧きました。その後、方丈号でいろいろな場所を訪ね、様々な方々のお話を聞き、少し調べて、私なりに感じ、考え、推察、想像したことを、「神武東征の実相」という切り口でまとめました。
鉄が日本列島に大陸と半島から流入すると、北九州勢力は特に新羅と、武力衝突と和解を交互に繰り返していたようです。
どちらが先に手を出したかは定かではありませんが、半島南の鉄の権益争いだったのでしょう。
付表の古代年表で、戦いあった時期を確認できます。
日本書紀を編纂したころには、それらの記憶に加え、神功皇后の新羅征伐(結果は敗退)、推古期の新羅征伐計画があり、そして、直前の出来事である白村江での大敗は屈辱にまみれ、天武、持統たちは、唐と新羅に対する反感を掻き立てたことでしょう。
大陸(中国)の下に見られないよう、ずっと独立した国であることを強調したかった。そのため、卑弥呼が親魏倭王の称号を得て、魏をバックに支配力を高めたことは、天孫族の権威に反しているので記述しなかった。又、娘の台与が西晋へ使者を送ったこと、倭の五王たちの大陸詣なども同様であったと推測します。
鉄の路が日本列島に広がり、奈良湖から奈良盆地へ変わっていく頃に焦点を当てて、「神武東征の実相」に至る流れとその後を探ってみたいと思います。
【目次】
=第一章= 日本書紀は神代から始まり持統で終わる
1.神武大王は実在したか?
2.日本書紀とは
3.持統は何をしたか?
=第二章= 大陸、半島からの影響
1.「現代日本人」が鉄と共に誕生 BC1000~
二重構造説に、多くの弥生渡来人が重なる。
2.鉄と銅が入ってきて、社会が劇的に変化 BC3C~
豊かになって戦闘開始
3.銅鏡と銅鐸の原型が入ってきた BC3C~
祈りの道具になっていく
4.神仙思想も入ってきた BC3C~
自然信仰と解け合う
=第三章= 「現代日本人」の国づくり
1.北部九州勢力が力をつける
2.日本海側に、“鉄と銅鐸祭祀”の生活圏がひろがっていた
3.吉備勢力が力をつけていた
=第四章= 奈良盆地は新開地
1.「奈良湖」が「奈良盆地」に変わっていく BC5C~
2.出雲勢力が広がる
3.吉備勢力も入ってきた
=第五章= 北部九州勢力(邪馬台国)が東に向かう
1.国譲りは銅鏡勢力の勝利 AD250~260頃
2.饒速日が東に向かう AD250頃
3.武闘派神武が東征を開始した AD270頃~
4.創作された熊野ルート
5.邪馬台国東遷の勝因
=第六章= 神武に続く者たち
1.欠史八代の事績(綏靖から開化迄) AD280頃~350頃
2.祭祀と墳丘墓の移行(大王型前方後円墳へ)
3.崇神は大国主を祀り上げて支配を拡大
4.四道将軍と景行九州征伐 AD350頃~370頃
三国史記(新羅本記)が3Cの記述が多く、それに魏志倭人伝、好太王碑文、百済本記、高句麗本記を合わせ、古代天皇在位10年説(安本美典先生)を基に構成した。
コメント
早速、拝見しました。
まず第一印象は、整然と管理されたホームページですね。
名乗るのが遅れましたが、今日、御一緒に安本先生の講義を・・・
一通り見ましたが、これから内容をじっくり読ませていただきます。
私もホームページを作っていますが、今年の8月末で閉鎖します。
個人と学生時代のスキーOB会が同居したページで、最近はLINEや
Zoomが主流になり何よりも私の更新する気力が・・・(笑)
今後、楽しみにしています。
ご覧いただきありがとうございます。
方丈号などと名前を勝手につけて、悦に入っているところもありますが、ご容赦ください。
気長に読んでいただければと思います。
西忠行(岸本忠也)