天皇家、天孫族は天照から連綿と続く万世一系の現人神であり、“日本”を統治する唯一の存在であることを国内外に明らかにする書である。
神が統治する国である。 日本書紀は天孫降臨を軸に、倭から日本(ようやく国というものを意識した)に至る国家像の歩みを表すとともに、AD3Cから始まる大王たちを8Cに天皇に昇華させ、日本国家を統治する天皇家の正統性を確実にすることであった。
天武が発案して持統とその骨格を作り上げた。
天武の皇子たちが中心となって、天武以前から各地で語り継がれていた物語エピソードを編集方針に沿って修正し、完成させた。編集方針に合わない各家の伝書は破棄させたという。
北部九州で生まれた初期天皇家(天孫族とした)が東へ移り、奈良盆地を中心とした地で全国を統治して発展させたことを鮮明にした。
対外関係は、半島(特に東の新羅)を敵対する地域として強調し国内求心力を高めた。白村江の大敗による防御体制整備は一例である。大陸については対等であろうとして、渡来人を重用して漢文で記述したが、大陸との関連はなるべく少なく記述して、大陸が日本に与えた影響を小さく記述した。
大王初期に活躍した物部氏は蘇我氏に滅ぼされ、日本書紀が編纂される頃には歴史の片隅に追いやれていた。物部氏と同時に饒速日の活躍を過少に表しているのも特徴である。
さらに、蘇我氏も主流ではなくなり、藤原不比等は30代で、まだ大きな力を握っていたとは思えない。
つまり、持統の影響力は最も大きかったと考える。
(追加の疑問)
不可解なことに、記載されている日食は、地域的、時間的(夜中)など、実際は日本では観測できないものがあり、唐書などを参考に架空の日食を記述している。中国の史書と渡来人たちの中国語能力を頼っていた証でもあるが、その理由を推し量ることができない。
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