持統については、別文(“さらら”の懐いと想い)に詳述
1)二人の事績
①天武が日本書紀編纂の詔を発し、持統が完成させた。
②官僚と法律を重視する飛鳥浄御原令を、天武が発し持統が施行した。
③持統は、現人神である天皇を継承する儀式形式を成立させた。(大嘗祭、高御座等)
④伊勢の天照祭祀を永続化させるため、20年毎の式年遷宮を持統が実行した。
⑤藤原宮を天武時代に構想し、持統が完成させた。
⑥持統は、皇統争いを収めるため、父子相続の原則を確立した。
⑦両者は薬師寺を建立するなど、現世利益と社会安定を仏教に求めた。
⑧持統は、現人神讃歌を言霊で広げるため、原万葉集を編纂した。(1~53番)
天皇家の統治正統性を裏付ける日本書紀編纂と皇親政治から律令政治への変革に邁進した。そして、社会の倫理性を担保するため、最新システムである仏教を取り入れた。
2)二人は先祖ゆかりの場所を訪ねて構想した
・斉明に連れられ九州朝倉宮(橘広庭宮)で、は卑弥呼(天照)に戦勝祈願した。
・日向まで足を延ばし、瓊瓊杵尊から神武に連なる事績を確認したのかも知れない。
・白村江の完敗により「国家」概念に基づく「日本国」創造を構想し始めた。
・熊野灘を望む命が溢れる熊野を訪れ、自然信仰への帰依を深め、日向から連なる海を実感した。
・熊野灘に面する伊勢の地に天照、有馬の地に伊邪那美を祀った。
・神武に熊野を越えさせた。
・吉野宮滝を31回訪ねた。ここは応神期から続く別宮の地で、日本書紀を構想した。
3)持統の呼び名・諡号に込められた思い
幼名 「鸕野讚良」(うののさらら、うののささら)・・・日本書紀に記載
和風諡号 「高天原廣野姫天皇」(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)
・・・日本書紀に記載
これは、在位中(生存中)に自らが了承して名付けられたのではないか?
火葬の際 「大倭根子天之廣野日女尊」(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)
・・・続日本紀に記載
この名前も意味深。根子=根の国の子? 天=高天原? 廣野=そのまま
漢風諡号 「持統天皇」
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