BC300~ 二重構造説に、大量の弥生渡来人が重なる。
1)BC12000頃~BC1000頃
縄文人が活動していた。
日本海側、太平洋側とも、沿岸沿いに丸木船が行き来して、黒曜石などが流通していた。 ほかの地域との交流を積極的に行っていたと思われる。
2)BC1000頃~BC300頃
縄文人は流入した人々と混血して「原日本人」となる。
縄文から弥生にかけて、南方、大陸、半島、樺太から渡来した人々は縄文人と混血して「原日本人」となり、九州、西日本中心に居住していた。 日本各地の遺跡人骨のDNA分析で証明されている。
BC5Cには、大陸の呉の国から稲作も入り、日本列島内に社会的集団が形成されていた。豪族が出現し小さな国ができ始めていたと思われる。 中国は、BC770-BC403は春秋時代。 この頃の移動は散発的であり、数人から数十人単位での移動ではなかったか。
「原日本人」の精神世界は、縄文時代より続く、水と山の生命力崇拝(自然崇拝)を基本にして、祖先信仰と列島以外からもたらされた骨占い(卜骨)を基本とする世界であった。
3)BC300頃~
大陸、半島からの「弥生渡来人」ともたらされた“鉄利用” により、
「現代日本人」となる。
数十から数百、千人単位の集団移動もあっただろう。 大陸・半島の騎馬民族(匈奴)の圧迫により半島を南下してきた人々は鉄の交易と共に、北部九州、日本海沿岸に辿りつき、混血して定住した。 各地の遺跡人骨のDNA分析で証明されている。
鉄を得たことで農業生産は飛躍的に向上し、社会的集団は大きくなり階級化が進んた。
鉄が大陸、半島で使われるようになったころから、人々の活動が活発になり隣国への侵攻、逃れる人々が多くなり、日本列島に渡来してくる人々が増大した。
かれらは「原日本人」社会に溶け込みつつ技術、社会形成ノウハウを持ち込み、各地に小国が形成された。 興味深いのは、話す言語は「原日本人」の日本語で、古代朝鮮語、中国語などとの関連はなく、文字を持ち込んだはずだが使われなかったことである。
「原日本人」「現代日本人」とも、話し言葉を重視し、文字表現をあえて拒否したのだろう。日本列島は言霊の地であり、それは連綿と現代にも続いている。
但し、渡来人も多く、漢文を理解していたとは思われる。
注)古代語の音節は現在よりも複雑で、様々な内容を言葉でやりとり出来ていた。 現代語でその特徴を残すのは、擬声語、擬態語、いわゆる「オノマトペ」表現が多いことではないか。
豊かな発音と五感で聞くことで理解しあっていただろう。
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