=第二章= 4.神仙思想も入ってきた BC3C~  自然信仰と解け合う

 

BC3C頃、山東省付近で広がった神仙思想の基本は永遠の命を求めることを仙人が現出する形で表される。不老不死を求める、死なないのである。
宗教の基本の一つは、死後の世界への祈り、現世での祈りが必須である。神仙思想は死後の世界を否定しているわけではなく、死を克服する思想と言ってもいいだろう。
つまり、太陽が永遠に輝き続ける力を得る思想ともいえる。

BC219200の二回、徐福が始皇帝に命じられ不老不死の秘薬を求めて日本列島に辿りついたという話が残っている。熊野他、数か所が候補となっている。神仙思想が強く広がっていた証である。

この神仙思想はそのまま日本列島で受容されず、縄文以前よりある祖先信仰に被さり、自然信仰と融合して北部九州、日本海側から広がっていったのではないか。
AD200頃の高句麗の墓郭内部に神仙思想に基づく絵が描かれた。注目すべきそれは、太陽の内側に八咫烏を描いた壁画が発見されている。太陽に三本足の鳥の「八咫烏」が描かれている。

下って法隆寺の玉虫厨子にも同様に描かれており、長い時期にわたって影響を受けていた証左である。 「八咫烏」は太陽黒点を表しており、黒点は太陽表面を動き回り、まるで太陽の動きを導いているように理解されていた。

正に、天孫族の神武を導いた八咫烏はこの神仙思想を背景に日本書紀に描写されている。 大陸では不老不死を願った神仙思想は、日本列島に来てからは宇宙万物の法則を表し、自然信仰と結びつけて取り入れられるようになった。
その後、仏教とも融合して、修験道にも影響を与えた。

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