=第四章= 2.出雲勢力が広がる

大神神社

1)支配ではなく浸透
BC3C以降、出雲日本海勢力で発展した“鉄農業力と銅鐸祭祀”の社会システムは、北陸、東海地域にも広がり、近畿奈良盆地、更に、紀伊半島南部の熊野方面まで浸透していった。
出雲族がそれぞれの地に武力で侵攻して税を取り、政治力で支配していたのではなく、その“自然コントロール手法”が各地に広がっていったと考える。
近畿式銅鐸が分布する地域と重なる。

2)大国主が神格化
大国主は両系相続などにより、北陸、長野、東海方面まで勢力を広げていた。そして各地で国津神として祀られるようになっていた。
これは銅鐸祭祀の世界と同じ地域である。

特に、奈良盆地から紀伊半島南部まで、大国主の影響は色濃く残っている。
最も有名なのは、大神神社で、三輪山に大国主が鎮座しているとした。
又、吉野の大名持神社は、妹山を神体山として原始信仰が始まり、オオナムチ(大国主の別名)を祭神としている。そばには、吉野寺、宮滝遺跡がある。

つまり、自然信仰、磐座信仰と現実のリーダー(支配者)を結び付けて、山そのものをご神体としている。山深く豊富な水のある場所は日本列島には多く存在し、特に紀伊半島南部は、その自然条件がそっくり揃っている。

命の源である山と川を、長い間畏敬していた人々には、わかりやすく信仰が広がった。

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