=第四章= 3.吉備勢力は大型墳丘墓を持ち込んだ

吉備勢力も新開地である奈良盆地に進出してきた。そして、大規模墳丘祭祀を持ち込み、その墳丘墓は、いわゆる「纏向型前方後円墳」に代表される。

吉備の代表的な、「盾築遺跡」の特徴である、「双方中円形墳丘墓」から崇神期に始まる「大王の前方後円墳」までをつなぐ古墳群(墳丘墓)である。纏向型前方後円墳と呼ばれている。

奈良県天理市に在る、「中山大塚古墳 全長130m」「櫛山古墳152m」「柳本大塚古墳94m」「纏向石塚古墳96m」「纏向矢塚古墳96m」「東田大塚古墳120m」「ホケノヤマ古墳80m」などがそれに当たる。

「大和天神山古墳130m」は、崇神天皇陵の隣に位置し、竪穴石室、木棺、23面の大陸製鏡、大量の水銀を出土している。吉備からのつなぎというより、吉備と北部九州の特徴を備えているように見える興味深い古墳である。

「勝山古墳115m」を挙げる例もあるが、古墳外形と周囲出土土器だけでの推定であるので、少し根拠が弱い。

いずれにしても、吉備勢力が奈良盆地に大規模墳丘祭祀を持ち込んでいた証である。

「大王の前方後円墳」の形式を作り上げたのは、北部九州勢が征服の余勢をかって、箱式石棺と鏡祭祀を大規模墳丘祭祀に融合させたのか、祭祀儀式次第に長ける吉備勢力が大規模墳丘祭祀に鏡を取込み発展させ、北部九州勢がその形式を乗っ取り自らのものとしたか、どちらかだろう。

注)埋葬・祭祀の変遷と人々の移動は関連している。
  後述する九州からの移動を含めて、図にまとめた。

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