大国主に出会う。
出雲大社だけではなく、京都亀岡の出雲大神宮、奈良の大神神社を巡りました。
どの神社が最も古いのでしょうか?
国造りは鉄の広がりと共に進みます。合わせるように、大国主を祀るようになったのでしょうか?
国譲りと崇神期に、大国主の祀り方に大きな変化があったように思います。
地元に根差した国津神たちをまとめる大国主信仰は、自然信仰と軌を一にしています。
出雲大社の本殿を空高く伸ばしたのは、何を意味しているのでしょうか?
様々なことを思いつつ巡りました。
出雲大神宮(亀岡) 主祭神は大国主命
由緒書きによると、奈良の大神神社よりも古く、大国主を祀った最初の神社です。
京都の北西、亀岡盆地を見下ろすように鎮座しています。
ここには、鹿谷遺跡、太田遺跡、出雲遺跡などが知られており、更に古墳が数多くあります。
出雲遺跡は出雲大神宮の下方に広がる遺跡です。
亀岡盆地は標高100m程度、京都より高く、縄文の頃より集落が発達していたようです。
日本海側から、亀岡盆地に進出して、鉄により農耕生産を引き上げ、この地に大国主勢力は足跡を残していたと考えられます。
後述の鍬山神社はその象徴でしょう。
この出雲大神宮には、大国主に関連する全てがあるように思えます。
岩山の麓に境内が広がります。
・本殿には、大国主と美細津姫で
・境内横には、崇神も祀っています。眞名井の泉まであります。
・笑殿社には事代主、少那毘古名、下社に猿田彦、大山祇神。
・春日社には、武甕槌、天児屋根・・・藤原氏の祖伸
・奥の山を登ると上社は素戔嗚と櫛稲田姫。
・その奥が岩山をご神体とする国常立尊です。
ただし、いくつかの疑問がわいてきます。
・奈良時代初めごろには記録に残っていますが、更にどこまでさかのぼれるのか?
・創建後にヤマト政権より様々な影響を受けてきたのでしょう。
崇神を祀っていること、春日社があるのはその証ですが、それら以外には?
・出雲大社、大神神社、出雲大神宮の年代順はどうなのか?
亀岡盆地を眺める少し高いところに在ります。盆地下部には前方古円墳(6世紀前半)
出雲遺跡の一部でしょうか。
- 出雲大神宮 拝殿
- ご神体は”山” 登った先は 立ち入り禁止
- 大神宮下には前方後円墳
- 出雲大神宮境内図
- 拝殿奥は、古墳と磐座
鍬山神社(亀岡) 主祭神は大国主命
出雲大神宮近くまで行って見つけた神社ですが、大国主を祭神としています。
名前が示す通り、亀山盆地の農耕繁栄を祈っています。
- 鍬山神社
- 鍬山神社
大神神社・三輪明神 主祭神は大国主命
二度目の訪問です。
遠い昔は大神大物主神社、中世以降は三輪明神で、明治になって大神神社とされた。
ここにも、明治政府の意図がみえる。
最古の神社とうたわれていますが、出雲大神宮との関係は如何なり哉?
現在でも、神社紹介パンフレットは、「三輪明神縁起」とされている。
崇神が天照は笠縫邑に移し、大国主を三輪山に祀り上げて、人心をつかんだとあります。
大国主という個人崇拝ではなく、自然信仰を元にした八百万の神々を束ねる力と影響力がヤマト政権に欠かせないとしたのでしょう。
出雲大社(杵築大社)に大国主を押込めた理由は、日本海側の最大勢力である出雲の力、大国主個人崇拝と言ってもよいでしょう、を自然信仰と分離して、島根半島最西端に押込めたと解釈できるのではないでしょうか?
境内の狭井神社、久延彦神社にもお参りしました。
出雲大社 主祭神は大国主
出雲旅の目的地、出雲大社に到着です。
平日にもかかわらず、多くの参詣者で境内は一杯でした。
古代出雲は、東と西に分かれています。
西の出雲大社周辺は斐伊川の河口が広がっています。西谷墳墓群など多くの遺跡がありますが、神社は多くありません。渡来人が多かったようです。
なぜここに、押込められたのか?それは、国譲りの時か?その後の崇神期か?又は二回に亘ったのか?と疑問は尽きません。
二度に亘って押込め方、祭り上げ方が変わったのではないかと思われる。
一度目はAD250年頃の国譲り(出雲族の敗北)の時に、北部九州からも監視の目が届くように、ここ西出雲、稲佐浜の傍に押込めたのではないか。脅威を取り除くため。
二度目は、AD360年頃、崇神が三輪山に大国主(信仰)を祀り上げて、全国支配を開始した。その頃でも、大国主への信仰は全国津々浦々に浸透しており、その力を利用して地方の豪族たちを従わせる施策を実行した。
つまり、大国主(自然信仰)を国の最重要の信仰として取り上げるとともに、出雲に杵築大社を造営し、東出雲から国造も移して祀るとともに、大国主勢力は押込めたままにした。
<番外編>
笠縫神社 祭神は天照
今の笠縫という地名はあり、その場所にお寺とその境内に笠縫神社がありました。
かつて、天照が祀られ、その後伊勢に移されたとはいえ、小さな神社です。
大神神社は三輪山全体、笠縫神社はその麓の小さな集落の小さな神社です。
- 笠縫神社の候補地とあるようですが、この邑は笠縫です
- 笠縫神社と読めます
- 正面から撮らない方が良いアドバイスされました
- 秦楽寺 ここの敷地内に笠縫神社があります
出石神社(出石) 主祭神は天日槍命(新羅王子)
3年前に、城崎温泉の途中で、たまたま訪れて、その町並みと風情を感じた「出石」。
出石神社を知らず失礼したが、新羅の王子「天日槍」ゆかりを知り、額づきました。
新羅系の神社は多数あります。素戔嗚も新羅系とされていますが、日本海側は半島、特に新羅エリアとの関係深いようです。
- 由緒書き 読めません
- 出石神社 正面
- 平安時代の鳥居遺物
- 平安朝、国司などが次々とこの鳥居を潜り詣でていた、云々
白兎海岸と白兎神社 主祭神は白兎神
大国主命と八上姫との婚姻を取り持ったと言われています。
この物語の意味するところを深読みしそうです。
- 因幡の白兎
- 兎はあそこの島を渡った
- 白兎神社
- 白兎海岸
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