出雲旅 出雲のまとめ 2022.5

TOPへ戻る

5月出雲旅は、一カ月半前のことですが、まとめの意味を込めて、訪問地を載せます。
グーグルのタイムラインを元に、主な訪問地を書き入れています。

出雲では、神話の世界と実在の世界が混ざりあい、私たちの精神性に大きく影響を与えていると実感しました。

東出雲(意宇地方)は、国生みの世界です。
伊邪那美、伊邪那岐の関連遺跡と神社がまとまっています。
後世に盛んになった「六社参り」もしてきました。

出雲の中心地は、東出雲、意宇地方だったという説があります。
東出雲から鳥取砂丘に至る一帯が、自然信仰と共に栄え、人々も多く居住していたと思われます。
青谷上寺地遺跡、妻木晩田遺跡がその典型であり、米子付近には多数の遺跡があります。

西出雲(出雲地方)は、海岸沿いは天照などの天津神、大国主の出雲大社があります。
そして、西谷墳墓群など半島の影響を受けた遺跡群でしょう。
稲佐浜は北部九州から、半島南東部から上陸するには格好の場所で、ここを外すと佐太神社辺りから能登半島西岸まで流されます。
弥生時代の地勢、川筋、湖のポスター図を、出雲弥生の森博物館で購入しました。
当時は河口が大きく広がり、出雲大社はその水と背後の山に囲まれ、まるで押し込められたように見えます。
国譲り後に、出雲大社に祀られたというのは、北部九州から監視しやすい島根半島西端に押込めらたと解釈しても良いのではないでしょうか。

出雲大社には本殿があり、その裏山である、「弥山(ミセン)」に磐座がありそうです。
奈良の大神神社は麓は拝殿、三輪山頂には磐座ありです。
亀岡の出雲大神宮は本殿に大国主を祀り、奥の岩山に、国常立尊を磐座に祀っています。
やはり、この三つの神社は相似形です。

この三社がどのような順番で成立し、途中で変化したのか、興味は尽きません。
弥山は神仙思想とつながりがあり、紀元前200-300年には日本列島に入ってきています。
弥生時代ど真ん中で、鉄が入ってきた時期とも重なります。

奥出雲は、素戔嗚と稲田姫の世界ではないでしょうか?
素戔嗚の足跡は、山あいに点在しているように見えます。
その後の鉄の世界と合わせて、神話と実話が混在して語り継げられたのでしょうか?
素戔嗚は大変魅力的なキャラクターですし、出雲の人々がどのようにこの物語を吸収し、発展させたのか、興味津々です。

TOPへ戻る

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました