2000年前の水田跡
東北・北海道の旅の途中で、田んぼアートで知られる、田舎館村を訪れました。
そのアートの横に、埋蔵文化財センターがあり、2000年前の水田がそのまま
室内で保存展示されていました。
当時、西国からの影響は殆どなく、水田、稲作はどのように伝わり、社会を
形成していたのでしょうか?
水田はほぼ同じ大きさに区切られ、数千の区分があるそうです。
税金を徴収するため、身分の区分をするため、水田単位で富を計算していたのでは
ないでしょうか?
大陸、半島からの影響は、おそらく、津軽半島の十三湊を経由して入り込んでいた
のではないかと想像します。
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