11月の九州旅
朝倉市で開催された、邪馬台国講演会「卑弥呼の墓は朝倉にある」に参加するのに合わせて、九州各地を巡りました。
今回の投稿は、遠賀川から朝倉まで、「天孫降臨」「神武東征」「斉明の百済救済の九州遠征にまつわる各地」の様子を訪問順にまとめました。
今回のハイライト「卑弥呼の墓は朝倉にある」は別に投稿します。
神武天皇社 岡湊神社 高倉神社 宗像大社 志賀島金印と海神社
平原遺跡
神武天皇社
神武は東征の途中、は日本書紀では「筑紫の岡水門」に着き、古事記では「筑紫の岡田宮」に一年滞在したととあります。今回は、「岡水門」と思われる遠賀川沿いの「神武天皇社」を訪問しました。
住宅街の一角にあり、社務所もなく御朱印もない神社です。そばの岡湊神社が管理しているようです。航空自衛隊芦屋基地の隣にあり、当日はT4練習機がぐるぐると空を舞っていました。
岡湊神社
遠賀川のすぐ脇にあります。仲哀天皇と神功皇后が九州に来た時に、通せんぼしたした神々を祀っています。その後に訪れた高木神社も同じ祭神で、仲哀天皇と神功皇后の事績が多い地域です。
高倉神社
仲哀天皇の死には謎が多いです。
なぜ、通せんぼした神々を祀ったのか?地元の豪族を討ち取ったので、その霊を慰めるために高倉神社、岡湊神社が造られたのでしょう。
さもなければ神武が九州に来た時に岡水門で抵抗した勢力が居て、それを仲哀天皇、神功皇后の事績に代えているのかも知れません。
宗像大社
天照と素戔嗚の誓約で生まれた、三人の姫たちが祀られています。 出雲勢力の一時、ここまで進出してきたのでしょうか?
三人のうち一人は大国主のお嫁さんとも言われています。
志賀島 金印と志賀海神社
奴国の金印は隠されていたという説と江戸時代に偽造されたということも聞きました。
確かに、金印だけが掘りだれたというのは変ですが、中国雲南省でも同じような金印が見つかっていることをみると、本物ではないか、又は本物を知っていた、見ていたという風に考えられます。
蒙古襲来の時の戦場でもあります。
博多湾の志賀島は金印だけではなく、この志賀海神社が有名です。ここには、なんと鹿の角が一万本以上集められたと言います。沢山の鹿の角が入った堂がありました。ちょっと、不気味です。
平原遺跡
伊都国の墳墓群でしょう。海を望む高台にいくつかの墳丘が並んでいます。
大地墳墓には、国内最大の鏡と多くの割れた鏡が周囲に置かれていました。
卑弥呼のお墓と思っていましたが、海との関係を強く暗示させる場所と小さなお墓をみて、ちょっと感じが違うようにも思いました。興味深い遺跡です。
コメント
私も、福岡単身赴任の時、志賀島とか宗像大社は行きましたが、知らないところも多く、興味深く拝見しまた懐かしかったです。下関の唐戸市場も大好きで、門司から船で渡りました。
金印のレプリカは福岡博物館にもありますが、志賀島にも出来たのですね。
また楽しいレポートお願いします。
見ていただき、
ありがとうございます!