九州旅の目的の一つは、都井岬の野生馬を実際に見ることでした。
神武東征の孔舎衙の戦場の傍に、大阪府四条畷の蔀屋北遺跡があることを知り、そこでは馬の全体骨格”が発掘されていました。この馬は大陸の蒙古馬が半島を経由してきていました。
そして、四条畷に住んでいた馬飼い族は渡来人たちで日向とつながりがあることを知り、その牧場を治めていたのは、乙巳の変の重要人物である蘇我倉山田石川麻呂でした。孫の持統天皇はこの牧場で育ち、諱を鸕野讚良皇女と名付けられています。又、推古天皇が”馬ならば 日向の駒”と謡いました。
飛鳥時代に奈良盆地、生駒山地と九州日向がつながっていました。
蘇我氏一族に日向を名乗る人々もいましたが、この日向は中大兄が蘇我石川麻呂を謀殺するのを手伝っています。
都井岬(岬馬)
ということで、実際にこの都井岬に野生馬がいると聞いて、見たくてやって来ました。
野生馬が生まれ死ぬまで、ほとんど人が介在することは無いですが、とても人馴れしていて、すぐそばまでやってくる”野生馬”です。
サラブレッドは背が高いので見上げますが、実際に見るとお手頃サイズというか、親しみがわく大きさです。戦国武者たちはこの馬に乗って戦っていたと思うと、ちょっと、複雑な感覚です。
動画も撮っています。
馬の全体骨格(蔀屋北遺跡)
九州の帰り、大阪でフェリーを降りてから、蔀屋北遺跡に行ってみました。
四条畷のイオンモール四条畷となわて水未来センターの下に広がる遺跡です。
馬は大陸からここにもやって来て、日本全体に広がり、人々と共に生活し戦いに参加していました。
そして、愛馬を丁寧に葬りました。
今は宮崎の南端の都井岬だけに生息していますが、古代には日向全域で飼われていたのでしょう。更には九州南部、本州にも広がっていきました。現在でも木曽馬、道産子など、各地に残っています。
馬は長年の友ですね。
寒立馬も
因みに、本州最北端の尻屋崎には、寒立馬という馬が放牧されています。昭和35年にフランスのブルトン種と掛け合わされましたが、それまでは、千年以上蒙古馬(在来馬、南部馬)として、飼育されていました。
昨年の映像ですが、寒立馬です。
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