辿辿人(てんてんびと)は 西忠行(にしただゆき)
漂泊の歌人、西行法師にあやかり名乗っています。・・・本名は岸本忠也
西行は”捨てて生きる”と評されます。生きた瞬間、その瞬間を捨てて次に向かい、そして、過ぎたときに思いを馳せていたのでしょうか。
2017年のキャンピングカー旅から始まりました。
熊野花の窟、熊野三山、吉野宮滝で、古代から続く自然への畏怖を感じ、自らを重ね、畏怖とともに憧れたのが始まりです。
何年も前から、文字記録が残っていない時代への興味を持っていたので、それが原動力となり、愛車”方丈号”に跨り、4世紀以前の世界を探る旅(古代を巡る旅)をしております。
西行ゆかりの地で印象深いのは、四国73番札所 出釈迦寺(しゅっしゃかじ)の傍のある西行庵でした。崇徳上皇を悼み、瀬戸内海を望む善通寺近くの「水茎の岡」に庵を結んだと言われています。八十八箇所結願した後、高野山壇上伽藍にある西行桜も見てきました。
願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月(もちづき)のころ
あまりにも有名で、後世の人々が”西行とは”を決定づけた一句です。お釈迦様が亡くなったと同じ頃、満開の桜の下で死にたいというのが定説です。齢を重ねている西行はその願いが叶わなくても、しっかりと今を生きると理解したいですね。
本名 岸本忠也 1956年生まれ FaceBookを見てください。
大学までは公立で親孝行? 半導体を売りたいと入社動機(成績可と就職難が後押し)を語り、長年、半導体を販売する業界に居りました。日本のエレクトロニクス産業の栄枯盛衰、欧米、中国メーカーなどの強かな戦い方に触れてきました。良きも悪しきも組織に翻弄される人々が見せる表と裏の欲望を実感しました。
嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな
恋の歌ですが、自分に重ねると、「自分の至らなさを他人に押し付け、知らん顔していい気になって涙している」と言う歌に聞こえてきます。
仕事が求めるスピード感から離れ、人生時計の進み方に合わせた生活を送るようになり、街中の人々に目が向くようになりました。
自然信仰と祖先を大事にする、古代の人々が残した時と場所を巡るのが、今の私です。
方丈記の冒頭、行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・
西忠行の歩みも留まらず、捨て去りながら漂い続けたいものです。
でも、思わず舌つづみする食彩、心打たれる風景、ほっかりゆったり温泉、そして、そこにつながる東西南北の旅は、何もにも代えがたいです。
私にもグレートジャーニーを続ける本能が少し入っているのでしょうか?
そして、帰れば後片付けが待っています。
2023.2記
コメント
久しぶりにHP拝見いたしました。
ずいぶんといろんなところへ行かれてうらやましいです。
安本先生の口座が突然終わって、こころにぽっかり穴が開いたようです。
いずれは、ご高齢だからと覚悟はしていたのですが、朝日セミナーは色々案内が来ますが、休止中です。また来年くらいから、興味ある分野(古代)で再開しようかと考えています。
今は先生の本読み返したりしています。
お元気で、またいろんなところの情報を期待しています。