=第六章= 2.祭祀と墳丘墓の移行(大王型前方後円墳へ)

1)祭祀と墳墓の移行期 
3Cから4C初めにかけて、出雲、吉備の大規模墳丘祭祀が奈良盆地にもたらされている。 纏向型前方後円墳から大王型大型前方後円墳へ移行してくのが、この時期である。 各代の墳墓形式は次の通り(宮内庁天皇陵より)
①神武:円墳(円丘)
②綏靖:円墳 径30m(円丘)
③安寧:円墳山形墳(山形)
④懿徳:円墳山形墳(山形)
⑤孝昭:円墳山形墳(山形)
⑥考安:円丘・円墳(円丘)
⑦孝霊:円墳山形墳(山形)
⑧孝元:前方後円墳1+円墳2(前方後円)
⑨開化:前方後円墳 長100m(前方後円)
⑩崇神:前方後円墳 長242(前方後円)

以上のように、北部九州の墳丘墓(円墳、甕棺、箱式石棺)に、出雲、吉備系の大型墳丘墓を合わせ、 徐々に前方後円墳へ変化する。
正に、皇后の出自による系統変換と軌を一にして墳墓形式を変えていった。

 

2)前方後円墳が徐々に成立する
前方後円墳は一夜にして出来上がったのではなく、出雲日本海側、吉備勢力が交わり、それぞれの大規模墳丘祭祀が合わさり、奈良盆地で形作られつつあった。
そこに、北部九州勢がなだれ込んで支配したので、鏡と箱式石棺を祭祀の中心としたのだろう。

 

3)纏向型と大王型前方後円墳の分布
奈良盆地纏向周辺に、纏向型・定型前型と定型後・大王型前方後円墳が集まっている。
「奈良県 大和古墳群・柳本古墳群(2008)」資料に、加筆して、「纏向型/大王型前方後円墳の分布」として、その分布を表した。

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