神武の事績をなぞる 和歌山~畝傍山  紀伊半島一周の旅

三年前(2020年)は吉野から吉野川(紀ノ川)を下り和歌山にましたが、今回は和歌山から吉野までさかのぼりました。表題写真は「ポルトヨーロッパ」和歌山ポートシティです。
神武は熊野回りで奈良盆地に入ったとされていますが、軍事合理性、日本書紀の日程を見ても熊野回りは整合性が低く、紀の川を遡って奈良盆地に突入したと考えています。

神武の事績とそのほか古代にまつわるところを訪ねました。

先ずは名草山、地元の女豪族と戦ったと言われます。
でも、小さな山があるだけで、中に踏み入れる道もありませんでした。
近くの方にお聞きすると、少し前に京都大学の先生が調査に訪れていたという事でした。

竈山神社(かまやま神社)
孔舎衙の戦いで傷つき戦場で亡くなった兄の五瀬の命をここまで運び葬った場所です。

和歌山の地名の元となった和歌の浦です。

玉津島神社
古代(724年)から、この地を和歌の浦と呼んでいました。そのわけは聖武天皇、允恭天皇の皇女とも言われる衣通姫が和歌を歌い有名なところでした。
ところが、秀吉が和歌浦と和歌山と名付けてしまったために、現代の和歌山の名前になったそうです。(知りませんでした)

紀伊三井寺
紀伊三井寺は高台に在り、紀伊水道に面しています。見晴台から和歌の浦を眺めると、古代紀ノ川があった低地部分があり、その先に和歌の浦が見えます。
古代紀ノ川の流れが目に浮かんでくるようです。

国見山・国見神社
神武がやってきた後、支配した証に国見をしたという国見山とその麓の国見神社です。
主祭神が瓊瓊杵尊というのはどういう訳なのでしょうか?

白鳥陵
倭健が鈴鹿で亡くなって、白鳥の姿でここに降りった場所です。
又、飛び立ったのだから、ここはお墓ではないでしょう。

畝傍山登山
念願の大和三山のうち、香久山、耳成山は数年前に登っていました。
残る、畝傍山にようやく上ることができました。これで、大和三山制覇です。
感慨ひとしおですが、その麓は明治になって整備された橿原神宮と神武天皇陵がひろがり、そのほかの事績群とは違いちょっと興醒めです。

畝傍山は標高299m、上りは緩やか、下りは急斜面で往復しました。
東方向(藤原京方向)は木が茂っていて、眺められませんでした。
※急斜面は避けた方が良いです。

有間皇子岩代の結松
白浜から和歌山の途中に、中大兄皇子の策謀にはまり殺された有間皇子を偲ぶ碑があります。
有間皇子の悲劇が大津皇子の殺害にも重なります。

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