吉野ヶ里、恵蘇八幡宮、ダンワラ遺跡
写真と映像でご覧ください。
吉野ヶ里遺跡
広大な公園になっています。
多くの観光客で賑わっていました。
- 環濠の守備能力はどの程度あったのでしょうか 敵はどのくらいの頻度で攻めてきたか気になる
- 見張り櫓 外敵はよく攻めてきていたのだろう
- 昔の人々は薄着でも大丈夫だった
- ズラリと並ぶ甕棺
2200-2100年前の北墳丘墓(40×27m以上)に多くの甕棺が埋葬されています。
その実際を保存して観ることが出来ます。
恵蘇八幡宮(斉明天皇の殯陵)
斉明は新羅との戦い、百済再興のための戦いに挑むため、玄界灘より離れた朝倉の地に宮を造りました。理由は、此処が邪馬台国の中心地であったからでしょう。
始祖、卑弥呼(天照)にあやかり、力を借りて半島での戦いに備えていたのでしょう。
しかし、斉明は戦いの前に亡くなってしまい、皇子の中大兄は、この地、恵蘇八幡宮の場所に殯の宮を建てています。
- 筑後川(背)に向かって建つ
- 本殿
- 本殿裏山が御陵
- 案内には前方後円墳とあるが、朝倉市HPによると、円墳状のたかまり2つで5C頃としている
恵蘇八幡宮の裏山にある、斉明の御陵山です。
ダンワラ遺跡の金銀錯嵌珠竜文鉄鏡と日高大神宮
魏から送られたと思われる「金銀錯嵌珠竜文鉄鏡」が出土した場所とされています。
中国で2008年から2009年にかけて曹操の墓が調査され出土した鏡とダンワラ遺跡で出土した鏡の実物写真・デジタル復元は下記の通りです。
曹操の鏡は直径29cm、ダンワラ遺跡の鏡はその4分の3の22cmです。
魏のトップ(曹操)と臣下(卑弥呼)の関係を表しているようです。
ダンワラ遺跡と言われる場所は、鉄道の横の荒れ地です。
- 線路沿いの斜面から出土
線路を挟んだ向こう側に丘陵があり日高大神宮という神社があります。
この丘陵に古墳があるとすると、その麓で金銀錯嵌珠竜文鉄鏡が発見されたことになります。
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