2024年初詣
1月中旬に、初詣を兼ねて成田山新勝寺(真言宗)、円長寺(梛の木)、香取神宮、鹿島神宮、龍神社、息栖神社(梛の木)、牛久大仏(浄土真宗)を巡ってきました。
鹿島神宮、香取神宮は神代から伝わる古い神社ですが、なんでこの利根川の河口にあるのかずっと不思議でした。今回はそれぞれの川に面した鳥居を訪れて、利根川の川面を眺める内に神代の情景が思い浮かび、当時の地域情勢に思いを馳せました。
冒頭の写真は霞ヶ浦の夕陽です。神代も今も変わりません。
鹿島神宮
鹿島神宮の拝殿・本殿の位置は変わっています。大体どこの神社でも参道を歩き、楼門を潜って拝殿を正面に見ますが、此処は正面鳥居を潜るとすぐそばの右側に拝殿があり、左(西)に向かって開いています。
現在の鳥居は江戸期に建てられた比較的新しいものですが、創建当時から鎌倉時代までは現在のみそぎ池のそばに船着き場があり、そこに鳥居があったのでしょう。
そこから上陸して丘を上る参道を歩くと、左側に拝殿が見えます。
なにか伊勢神宮内宮も似たような配置ですね。
香取神宮
香取神宮の創建当時の利根川はもっと広く、現在の参拝口のそばまで川が入り込んでおり、現在の参道前のお店辺りで上陸して、丘を上っていたようです。
現在の鳥居は平成14年に建て替えられたものです。
この二つの神社は武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)で、出雲を征服しました。そして、この二つの神社関東各地の豪族を抑える役目を果たしていたのでしょう。
両方の神社にある「要石」はその抑えの象徴です。
神道大辞典より抜粋
鹿島神宮と香取神宮の要石は関東豪族を抑える象徴
ヤマト王権は関東へは、東山道と東海道・海の道を伝い攻め込んできたのでしょう。
でも、大きな戦闘の跡が発見されていないのは、「事向けや和す」と「両系相続」で支配を広げていったのかも知れません。
海の道には、梛の木が分布しています。
梛の木は海の凪に通じて、変じて「いざ凪」は伊弉諾の語源となっています。
梛の木
- 円長寺の梛の巨木
- 息栖神社の梛の木
龍神社(おまけ)
神仙思想の根幹は「水」です。各地に水の化身である「龍」が祀られています。
ここにも在りました。
新勝寺と牛久大仏(さらにおまけ)
新勝寺は真言宗、牛久大仏は浄土真宗、どちらでも真剣に参拝する人々が居ました。
- 1時間毎に護摩行
- 成田と言えばうなぎ
- ひたすら、阿弥陀様にすがる
- 奈良と鎌倉大仏を造った気持ちが分かる
コメント