東山道の代表古墳を巡る

2024年5月の新潟佐渡島上杉謙信の旅の帰り道に、森将軍塚古墳と埼玉古墳群を訪れました。
数年前に、高志の国(現新潟県)に遣わされた四道将軍の一人である大彦命(おおびこのみこと)のお墓と言われている、川柳将軍塚古墳を2022年に訪れています。

今回は、千曲川挟んだ東側にある森将軍塚古墳と北関東にある埼玉古(さきたま)墳群に行ってきました。両方ともよく整備されていました。

森将軍塚古墳
麓には森将軍塚古墳館があり、小学生が社会見学に来ていました。たまたま説明員の言葉聞こえたのが、「この古墳で見つかった三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏から貰った100枚の鏡の一枚である」と説明していました。
これは言い過ぎでしょう。三角縁神獣鏡は国内でしか見つかっていない国内生産の鏡である事は知られているのに、間違ったことを子供に教えるのは如何なものでしょうか。

では、話よりも映像と写真でご覧ください。
森将軍塚古墳は4世紀末頃の古墳と言われてきましたが、このパネルでは4世紀中頃、4世紀半ばに活躍した崇神天皇と同じかそれよりも前の頃とされています。更に、崇神に派遣された4世紀後半の四道将軍の大彦命よりも前の時代とされています。何故、古い時代に見せたかったのか、科野のクニは古くから栄えていたとしたかったのでしょうか?
そんなことしなくても、古代の科野が栄えていたことはよく判ります。
実際には、4世紀末頃とするのが合っているようです。
四道将軍に支配された(事向けや和された)あとに、科野の王がヤマト王権に従い、後の時代に古墳が多く築造されたとするのが判りやすいでしょう。


きれいに整備された古墳で、上まで登るのに無料のバス(入館券を購入していれば)で上がれます。
当日は幼い子供たちが保母さん連れられて、自分の足でしっかりと登っていました。

埼玉古墳群です。
多くの古墳が整然と並び、古代の繁栄を思い起こさせる風景です。
5世紀中盤の雄略天皇の名前が刻まれた剣(稲荷山鉄剣)が出土し事で一躍脚光を浴びていますが、稲荷山古墳よりも大きく立派な古墳もあり、ヤマト王権とこの地域がつながっていたことを強く想像させます。

森将軍塚古墳などより、若干年代を下った古墳群のようですが、東山道を通ってヤマト王権の影響を受けていました。

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