今回の目的の一つは神武東征の瀬戸内の事跡を巡ることでしたが、それ以外にも古代にまつわる処を巡りました。
1.伊都国歴史博物館
2.岩戸山古墳(九州八女市)
3.今城塚古墳(継体天皇陵)
4.長田古墳の発掘状況
5.土井ヶ浜遺跡
1.伊都国歴史博物館
2019年に平原遺跡(王墓)を訪ねながら、そばの伊都国歴史博物館は素通りしていましたので、今回はじっくりと見てきました。
問題は、ここに眠る女性は伊都国の女王か? ”卑弥呼”か? その姉妹か? ですね。
平原遺跡から発掘された大型の国内製鏡など興味深い品々が展示され、平原王墓が再現されています。
原田大作さんの像が建っているなど地元愛に満ちた展示で、この伊都国こそが古代倭国の中心地で対外交流を行っていたという主張のようです。確かに、直径40数㎝の鏡は迫力があります、但し、表面の細工は大雑把にも見えるので埋葬者の死後に埋葬祭祀用に造られたのかもしれません。
- 糸島半島は陸地と分かれていた
- 国内製の鏡 最大の大きさ
- 周囲に鏡を割って置いた
- 古代各地で交流があった
2.岩戸山古墳(九州八女市)・・・地元愛が強い
九州の磐井の乱で有名な磐井氏の拠点だった処に岩戸山古墳があります。八女丘陵古墳群の一つで、立派な岩戸山歴史交流館が建てられています。
石人、石馬を並べた特異な古墳ですが、これらは大阪にある継体天皇陵と言われ、埴輪が沢山並べてある今城塚古墳と”対”をなすものであるという、地元の主張です。
岩戸山古墳の展示館は立派で学芸員の方がわざわざ説明してくださいました。
磐井氏はヤマト朝廷に敵対する勢力と位置づけられ、ヤマト政権の新羅討伐を新羅の親交ある磐井氏が阻止しようとしたとされています。しかし、展示内容は、「郷土の英雄」としての磐井氏を捉えて、郷土愛を育む場を提供したいとされています。
岩戸山古墳全体像(紹介冊子筑紫君磐井に会いたい より)
ここに地元愛が凝縮されています。
3.今城塚古墳(継体天皇陵)(高槻市)・・・ここは鷹揚に構えているのか?
旅の終わり頃に訪れました。
広い公園のように整備されています。
こちらも古墳のそばに、「今城塚古代歴史館」があり、古墳築城の様子などが再現展示されています。宮内庁はここが天皇陵と認めていないため、一般に立ち入り調査が可能な古墳です。
実態は天皇陵(大王陵)なのでしょう。この歴史館も大王陵を前提に展示されています。
磐井の乱については、日本書紀にあるように新羅のバックアップを受けた地方の反乱という説明書きに終わっています。
4.長田古墳の発掘状況(山田SAの隣)
卑弥呼の墓でないかと推定されて、「長田古墳市民調査の会」が福岡大学考古学研究室と調査を開始しました。古墳表面の第一期調査では6-7世紀と思われる須恵器などが発見されています。夏休み中に第二期の調査が行われる予定のようです。
2022年に訪れたときは古墳に登ることが出来ましたが、現在は出来ません。又、古墳周囲の木、下草を刈り込んでスッキリした形となっていました。
表面に葺き石があるのは以前より確認済みでしたので、3世紀の卑弥呼の墓の上に、古墳時代に古墳が築かれていると考えているものと思われます。
さあ、どうなるか、興味津々です。
- 下草を刈ってスッキリ
- 2022年10月の姿
5.土井ヶ浜遺跡
結構ショッキングな光景でした。海に頭を向けたお墓が数十基、整然と並んでいます。
中には、13本もの矢傷が残る遺体もあります。倭国大乱の頃のものでしょうか?
鳥取の青谷上地遺跡の頭部に矢傷のある遺体を思い起こさせます。
全体で300体ほどが発見されているとのことです。
https://youtu.be/HDSLEJBTigI
全体の説明文によると、
「土井ヶ浜遺跡は、弥生時代の前期から中期(今から2300年~2000年前)にかけて砂丘上に合まれた弥生人の集団墓地です。
総数300体余りのほぼ完全な弥生人骨が出土し、全国でもまれにみる大規模な埋楽置跡であることがわかりました。石棺や配石などいろいろな埋葬方法がとられていとことや、頭を規選的に東に置くなど弥生時代における埋葬遺跡がよくわかります。
私たち日本人の起源を、骨格の特徴から解明することができる、日本でも数少ない重要な遺跡として、国史跡に指定されました。
違構を保存する方法として、違跡の主要部分の上にドーム状覆屋をつくって保護し、あわせて当時の状況を見ていただけるように工夫しました。覆屋は遺構を壊さないように、最大限の注意を払い工事が行われました。」
とあります。
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