どのように辿辿?
2017年5月末から6月頭にかけて7日間の旅でした。
四国八十八カ所の巡礼を終え結願していたので、最後、高野山にお礼参りをしようと、伊勢、熊野から秘境熊野山地を抜けて、高野山を目指しました。
そのあとは、奈良盆地に抜け伊賀経由で帰京です。
この旅が、古代に興味を持つきっかけとなりました。
ずいぶんと駆け足でした。
キトラ古墳の立派で大きい施設と高松塚古墳のこじんまりした佇まいの違い、又、橿原神宮と神武天皇陵では、他と比べるとしらけるくらいな大きさに圧倒されました。ただ、ここで、神武東征伝説の概説を知り、熊野での体験と合わせ、そのころのことへの興味を掻き立てられました。
そのあと、二年前、一年半前にも、奈良、吉野を回りました。
以下、4年前に書き留めた内容です。
伊勢神宮 外宮・せんぐう館・内宮
外宮の祭神は豊受姫(食物の神)・・・天照大神とセットの訳は?
内宮参拝は三回目。今回は外宮から廻り内宮へ、という正式ルート。正装した団体とカップル(20-40代?)が目につく。
観光気分ではなく改まった気持ちで参拝する人たちかも知れない。五十鈴川の流れは変わらないが、司る人々、訪れる人々の気持ちはどのように変わってきたのか?
せんぐう館は、本社殿の実物大模型と式年遷宮の様子を展示。
天武が決めて持統が始めたという式年遷宮を、二十年おきに行うのは、天皇の権威を二十年毎に高揚させ、永続させたかったのかも知れない。
花の窟・花窟神社
日本書紀には、この有馬の地にイザナミ(女)(主祭神)を葬ったと載っている。
海岸近くの崖の「ほと穴」をご神体としている。原始宗教の姿。
大綱が崖の上から地上まで張られている。特異な光景。
熊野速玉大社
ご神体は、大きな岩(ゴトビキ岩)・・・神が降りて座った。周囲から銅鐸発見。
ご神木は、なぎ(梛)。これを平成24年に沖縄に植樹した。
沖縄は琉球王朝時代から熊野と縁が深い島なのだそうだ。
主神は速玉神(イザナギ(男))・・・花の窟神社と対になっている?
熊野那智大社・青岸渡寺
那智の瀧参道を降りると大瀧に遭遇、ここがご神体。
この瀧を思わず手を合わせる気持ちは今も昔も変わらない。
主祭神は、夫須見大神(イザナミ(女))・・・何故?
神社とお寺が隣り合う、神仏習合の姿ここにあり。
熊野本宮大社
ご神体は熊野川。中州にある大斎原(おおゆのはら)が祈りの場とのこと。
主祭神の素戔嗚尊。関連するオオゲツヒメは伊勢のトヨウケヒメと保食神同士。
速玉神(いざなぎ(男))、夫須見神(いざなみ(女))、更に天照大神も祀っている。
→天皇家の主な祖先が集合。
後白河上皇は浄土信仰に厚く、一年に、二回も参詣した記録あり。宇多天皇(907年)から始まり、白河上皇(9回)、鳥羽上皇(21回)、後白河上皇(34回)、後鳥羽上皇の(28回)が多く参詣したとのこと。
高野山
金剛峯寺、奥の院、壇上伽藍
四国八十八箇所を巡り結願した報告を弘法大師に行った。
室戸岬にある御蔵洞内から外を見ると、空と海しか見えなかった。
御朱印を御朱印帳の最初の頁に頂きました。
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