巡る旅Ⅲ 東国三社巡り

2018年2月に、
香取神宮→鹿島神宮→息栖神社(鹿島神宮の摂社)の順番で訪れました。

両神宮は、利根川と水郷地帯をはさみ、向かい合っている丘の上にある。
水の氾濫を抑え、北(蝦夷)ににらみをきかせるために造られた。
沖縄、南九州、熊野から遠州沿いに、房総を回って船で行き来していたのだろう。

香取神宮

・参道沿いにはお土産、食堂が並ぶ昔ながらの風景。でもちょっと寂しいかった。
・小高い丘を上る参道は大きく左に曲がり、本殿に到着。


・本田の左隣には宝物館。内容は寂しいが、自衛艦かとりの歴代船長奉納の額が並ぶ。
・祭神は経津大神(ふつのおおかみ)で、国譲り(葦原中津国平定、出雲征服)の際に、
副官をつとめた、鹿島神宮の建御雷(たけみかづち)ペアで鎮座。

・創建は、鹿島神宮に送れること18年。その違いは?
・この地方の地震を鎮める要石も、鹿島神宮と対で深く打ち込みナマズをおさえた。

鹿島神宮

・森が深く、禊ぎの池では水がこんこんと湧く。塚原卜伝の故郷です。


祭神は、武甕槌神(建御雷神、タケミカヅチ)で、創祀 神武天皇即位の年。
 ここの要石を磐座にして坐したと謂われている。
・この地は、蝦夷征服の拠点であり、神宮は中臣氏が司っていた。
・社殿が北を向くことも、蝦夷を意識しての配置といわれる。

・その象徴である神の使いが鹿がであり、ここに鹿苑がある。
・のちの藤原氏を祀る春日大社造営の際は、鹿島神宮の鹿が運ばれた。


・要石があるのに、安政大地震が発生してしまった。
なぜなら、10月(神無月)で建御雷は出雲に行っていたから。

・社務所に、ナマズと治める神々、地震についての絵額が10枚展示されてた。

息栖神社

・鹿島、香取と比べると小さな神社。でも、東国三社のひとつ。鹿島神宮の摂社とも。
・祭神が久那戸神(岐神・・・イザナギの褌から生まれた)と天鳥船命。
 →利根川、霞ヶ浦、太平洋など、水と水運に関連深いのだろう。
・社務所横に、「那岐」の木を発見。いつ頃から植わっているか不明。
・熊野速玉大社にも「梛」があり、沖縄にも「梛」があった。どうつながっているか?
 →イザ!ナギ(凪)=那岐の木、そして、国生みの伊弉諾との関連を考えてしまう。

息栖神社の那岐の木

熊野速玉大社の梛

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