神武東征の実相

神武東征の実相

=第二章= 3.銅鏡と銅鐸の原型が入ってきた BC3C~  祈りの道具になっていく

1)銅鏡が北部九州入ってきた 。 銅鏡は太陽神崇拝の象徴で、北部九州が中心となって広がる。 銅鏡は大陸から半島西部(楽浪郡、帯方郡)を経由して九州へ伝わり、神仙思想に基づく文様、絵柄が表されていた。 北部九州の人々は、鏡を太陽の...
神武東征の実相

=第二章= 4.神仙思想も入ってきた BC3C~  自然信仰と解け合う

BC3C頃、山東省付近で広がった神仙思想の基本は永遠の命を求めることを仙人が現出する形で表される。不老不死を求める、死なないのである。 宗教の基本の一つは、死後の世界への祈り、現世での祈りが必須である。神仙思想は死後の世界を否定し...
神武東征の実相

=第三章= 「現代日本人」の国づくり

3-1.北部九州勢力が力をつける 3-2.日本海側に、“鉄と銅鐸祭祀”の生活圏がひろがっていた 3-3.吉備勢力が力をつけていた <<  <                                   >
神武東征の実相

=第三章= 1.北部九州勢力が力をつける

1)世界は混乱した AD181 ニュージーランドのタウポ火山が大噴火する。(VEI7レベル、噴煙高度50km) 火山爆発指数VEI7は、噴出量は100km3以上。(セントヘレンズ噴火の100倍以上)大量の火山灰と気候変動により世...
神武東征の実相

=第三章= 2.日本海側に、“鉄と銅鐸祭祀”の生活圏がひろがっていた

1)出雲と半島東部 日本海勢力は半島東部と距離近く海流にも助けられ、直接交流していた。 BC1Cに建国された新羅の影響は各地に残っている。 出雲国風土記の冒頭、「国引き神話」は当時のつながりを示すものである。 2)“鉄と銅鐸祭祀...
神武東征の実相

=第三章= 3.吉備勢力が力をつけていた

1)神武東征の足跡が残る 古事記、日本書紀の両方に、高嶋宮に滞在した旨の記載があり、現在の宮浦地区に比定されている。 北の吉備と南に陣取る神武が、海(湾かも)を隔てて、3年間からから8年間(当時の歴は現在の二倍とすると4年)も対峙し続け...
神武東征の実相

=第四章= 奈良盆地は新開地

4-1.「奈良湖」が「盆地」に変わっていく 4-2.出雲勢力が広がる 4-3.吉備勢力も入ってきた <<  <                                   >
神武東征の実相

=第四章= 1.「奈良湖」が「盆地」に変わっていく

1)奈良湖の水が引いて、耕地に適した陸地が出現し、人々が住み始め集落が出現した。 縄文から弥生初期にかけては、近畿地方の低地部は海岸が内陸に入り込み、又湖も多かった。 河内湖は現在の大阪地方、巨鯨池は京都盆地、奈良湖(大和湖)は...
神武東征の実相

=第四章= 2.出雲勢力が広がる

1)支配ではなく浸透 BC3C以降、出雲日本海勢力で発展した“鉄農業力と銅鐸祭祀”の社会システムは、北陸、東海地域にも広がり、近畿奈良盆地、更に、紀伊半島南部の熊野方面まで浸透していった。 出雲族がそれぞれの地に武力で侵攻して税を取り、...
神武東征の実相

=第四章= 3.吉備勢力は大型墳丘墓を持ち込んだ

吉備勢力も新開地である奈良盆地に進出してきた。そして、大規模墳丘祭祀を持ち込み、その墳丘墓は、いわゆる「纏向型前方後円墳」に代表される。 吉備の代表的な、「盾築遺跡」の特徴である、「双方中円形墳丘墓」から崇神期に始まる「大王の前方後円...
タイトルとURLをコピーしました