東征ルートを辿る

神武は日向を出発して瀬戸内海を通り浪速に至ります。
日下の戦いに敗れ、紀の川河口に兄を葬ってから紀伊半島潮岬を回って熊野に上陸します。
八咫烏に導かれて宇陀から奈良盆地に入り、ナガスネヒコとの戦いに勝って、奈良盆地を支配します。
橿原にお宮を建てたところで、この物語は終わります。
神武が進軍した場所を辿り、その真実を探ります。

北上の謎

瓊瓊杵尊が木花開耶姫と出会った笠沙の岬は二つある

笠狭・笠沙はどこでしょうか?瓊瓊杵が木花開耶姫と出会い結ばれた場所は笠沙(笠狭)の地であると古事記、日本書紀の両方に述べられています。では、どこにあるのでしょうか?二つの場所に行ってみました。内容1.笠狭の岬とは2.延岡の笠狭山(現愛宕山展...
北上の謎

瓊瓊杵尊のお墓は三つ 何処が本物?

天孫降臨は瓊瓊杵尊が高千穂峰に降り立つところから始まります。・先ず瓊瓊杵(ににぎ)が笠沙の地で木花開耶姫を娶り、三人の子をもうけます。・子の山幸彦(彦火火出見尊)は海に住む豊玉姫と結ばれ、鵜葺草葺不合命をもうけます。・孫の鵜葺草葺不合命は母...
北上の謎

山幸彦と海幸彦の物語は、天孫族と隼人族の争い

日向三代の御陵、遺跡図宮崎説は青、薩摩説は赤で示します。宮内庁は明治7年の薩摩案で決めた後、徐々に宮崎・日向説(従来説)に戻っているようです。内容1.海幸彦と山幸彦は血を分けた兄弟か?2.山幸彦の御陵は高屋神社・高屋山稜(宮崎)・那岐(ナギ...
北上の謎

ウガヤ(鵜葺草葺不合命)の宮殿とお墓です

日向三代の御陵、遺跡図宮崎説は青、薩摩説は赤で示します。宮内庁は明治7年の薩摩案で決めた後、徐々に宮崎・日向説(従来説)に戻っているようです。内容1.宮崎・日向説・砂土原聖地はウガヤの宮殿跡・鵜戸神宮に吾平山稜(参考地)があります・佐土原町...
北上の謎

神武東征 生まれてから日向出発まで

神武東征の九州にまつわる事跡を、2022、2023年秋に巡りました。神武(神日本磐余彦)が日向を出発して、いくつかの地に寄港しながら遠賀川河口までやってきたと、古事記、日本書紀にはあります。その後、安芸、吉備を経由して近畿に入ります。この物...
北上の謎

神武東征 北上する船旅の虚実を追う

前号では、神武が生まれ育ったところを訪ねました。ここでは、神武が美々津の浜を船出してから宇佐に立ち寄るところまでを巡り、現地で東遷伝説の虚実を確かめます。内容1.何故、船で日向灘を北上したのでしょうか?2.経由地を訪ねて少し考えました・船出...
北上の謎

九州を北上するとヤマト王権と違う世界が見えてきた!

内容1.串間の玉壁2.薩摩半島の支石墓(ドメルン)3.装飾古墳博物館を訪問石室内部のレプリカ、文様の意味、面従腹背を表す?4.板石積石棺墓は九州南西部に集中している支石墓・板石積石棺墓・装飾古墳の分布図5.支石墓が大陸江南と半島から伝わった...
古代を巡る旅

神武は出雲に行った 安芸埃宮(えのみや)編

神武が最初に立ち寄ったのは安芸・安芸(広島)の多気宮、埃宮(えのみや)に、7年間(記)、又は3ヶ月程度(紀)古事記は編年体で書かれていませんので、いつからいつまで滞在したのかは判りませんが、滞在期間は表記しています。春秋2倍暦を用いていたと...
古代を巡る旅

神武は吉備でも交渉した 吉備高嶋編

神武が最後に立ち寄ったのは吉備・吉備(岡山)の高島(高嶋)に、8年間(記)、3年間(紀)古事記は編年体で書かれていませんので、いつからいつまで滞在したのかは判りませんが、滞在期間は表記しています。春秋2倍暦を用いていたとしても、ずいぶんと長...