神武東征の実相

神武東征の実相

=第五章= 北部九州勢力(邪馬台国)が東に向かう

5-1.国譲りは銅鏡勢力の勝利  AD250~260頃5-2.饒速日が東に向かう AD250頃5-3.武闘派神武が東征を開始した AD270頃~5-4.創作された、熊野ルート5-5.邪馬台国東遷の勝因<<  <               ...
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=第五章= 1.国譲りは銅鏡勢力の勝利  AD250~260頃

北部九州勢力が出雲勢力を武力で屈服させたのが、“国譲り”である。 北部九州勢力は半島の鉄資源の権益を求めて争っていた。同じく、出雲勢力も北部九州経由で半島と交易をしており、鉄資源も手に入れて繁栄していた。宗像三女神は、出雲は北部九州と深い交...
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=第五章= 2.饒速日が東に向かう AD250頃

1)北部九州勢 第二軍が奈良盆地に向かう北部九州からは、前項の「天の穂日の命」は第一軍として出雲に向かい、「饒速日」は第二軍を引き連れて、栄えつつある東へ進撃した。後述の「瓊瓊杵尊」は第三軍として、長い間反目していた南九州を目指して南下した...
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=第五章= 3.武闘派神武が東征を開始した AD270頃~

1)神武は東に憧れた天孫族の瓊瓊杵尊は、北九州勢(邪馬台国)の国内侵攻第三弾として、南九州勢力を支配下に置いた。瓊瓊杵尊だけを天孫族としたのは、後述の神武東征の正統化のためである。南九州のやせた土地で育った神武は、饒速日の成功話を聞くたびに...
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=第五章= 4.創作された熊野ルート

ここで、第一章で述べたように、古事記、日本書紀とも、神武進軍ルートを創作している。ここでは、「熊野ルート」と呼ぶ。実際には、神武は紀の川・吉野川を遡って宮滝に至り、宇陀方面から奈良盆地に突入したのに、記紀では、紀伊半島をぐるっと迂回したこと...
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=第五章= 5.邪馬台国東遷の勝因

1)邪馬台国は武力に勝る邪馬台国(海外からの呼称は倭国)は半島での鉄権益を争い、特に新羅との闘いを繰り返していた。その中で、最新の鉄製武器を手に入れ、組織的な戦闘方法を学んでいた。そして、軍勢を三回に分けて、東方(銅鐸文化圏)に派遣し勝利し...
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=第六章= 神武に続く者たち

6-1.欠史八代の事績(綏靖から開化迄)6-2.祭祀と墳丘墓の移行(大王型前方後円墳へ)6-3.崇神は大国主を祀り上げて支配を拡大6-4. 四道将軍と景行九州征伐<<  <                                  ...
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=第六章= 1.欠史八代の事績(綏靖から開化迄) AD280頃~

1)両系相続で出雲勢力を取り込む 出雲国譲り後に神武は奈良盆地を制圧した。しかし、奈良盆地に先に居た出雲勢力は影響力を持ち浸透していたので、その力を邪馬台国勢力に取り込むため、「言向け和す(ことむけやわす)」を実践していった。 邪馬台国から...
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=第六章= 2.祭祀と墳丘墓の移行(大王型前方後円墳へ)

1)祭祀と墳墓の移行期 3Cから4C初めにかけて、出雲、吉備の大規模墳丘祭祀が奈良盆地にもたらされている。 纏向型前方後円墳から大王型大型前方後円墳へ移行してくのが、この時期である。 各代の墳墓形式は次の通り(宮内庁天皇陵より) ①神武:円...
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=第六章= 3.崇神は大国主を祀り上げて支配を拡大

4C前半孝霊、 孝元、開化の時代に四道将軍など能力発揮する人物が現れ、後に続く崇神が神武と同じように強いリーダーに成長した。崇神は物部氏たちを動かし、次々と政策を打ち出し、奈良盆地を固め、全国に支配を広げた。1)拡大戦略①奈良盆地の出雲勢力...