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方丈号紹介 キャンピングカー方丈号の紹介です。
今を旅する 古代を巡る旅 旅の記録です。
神武東征の実相 鉄が西から拡がる流れにあわせて、神武は東に向かったのか?
持統の生涯をたどる 女帝持統(さらら)が生きた現地を方丈号で辿り、生涯を追います。
New 神武北上の謎 九州を巡り、薩摩VS宮崎、神武の虚実を追いました。

【Youtube方丈号辿辿記に動画UPしています。

【最新投稿】

2024秋 四国・淡路島の旅

11月中旬から末にかけて、久しぶりに四国を回ってきました。
まずは、「モネの庭」 と 「東洋のマチュピチュ」です。
そして、食事編(讃岐うどんは美味しい)です。
つぎは、石鎚山は修験道の山です。
更に、 国生みの現場を巡る 淡路島・沼島です。
そして、吉野川を忌部氏と共に下る です。

それ以外は、2024秋 四国・淡路島の旅 です。

2024年12月 持統の生涯を方丈号で辿る

「持統の生涯を方丈号で辿る」と「”さらら”の懐いと想い」を改題しました。
2年前にUPしたあとに訪問した場所等を付け加え、方丈号と訪問した処の写真、映像を挿入しています。
大幅に改訂したので、10章と6つの付記、2つの年表で、かなり長くなってしまいました。
これで持統天皇の一生と時代背景などが大凡つかめるのではないかと思います。

本文にも書きましたが、自然信仰をベースにした現在の日本の精神性と社会構造の基本となっている、天皇制を恭しく続け始め、父子直系相続を基本としたのは、持統天皇(”さらら”)です。
女性の一生としても大変興味深いものがあります。
全文を一気読み、一気見できるように、PDFも添付していますので、ご覧ください。

2024年10月 大谷日光榛名三峯の旅

紅葉には少し早かったですが、いろは坂はスイスイ登れました。
水と龍を確かめる旅にもなりました。
大谷日光榛名三峯の旅です。

2024年夏 北海道・東北の旅

2024年も北海道・東北に行ってきました。
往きはさんふらわぁフェリーで船旅、苫小牧に上陸したらグルグルと涼しさを求めて北へ東へ向かい、その後に、函館、青森、弘前で夏の祭りを堪能しました。

2024年7月 薩摩半島に上陸した人々と日向灘を北上した神武

2023年秋の九州古代の旅より一部をまとめ直しました。以下をご覧ください。
大陸の春秋戦国時代から九州はつながりがありました。

瓊瓊杵尊のお墓を巡る中で、薩摩半島に上陸して九州内部に拡散していった人々を知りました。その時代にどのようなことが起こっていたのか興味が湧きます。

そして、神武東征の出発地である日向の事跡を巡り、後の時代の大和尊と重なる海路は後付けなのかどうかなどを改めてまとめました。
薩摩半島に上陸した人々と日向灘を北上した神武

2024年5月 金に石油に、トキに米・・・佐渡新潟の旅

念願の佐渡島です。
流人の島と言われ、なにか暗いイメージがありましたが、トキは居るし、金はあるし、たらい舟は格好いい。そして、古代の新潟は高志の国の北側、現在は越後です。
江戸、明治時代は日本で最も人口が多く、豊かなところでした。
金に石油に、トキに米・・・佐渡新潟の旅

2024年5月 東山道の古墳

東山道の代表的な古墳を巡りました。
森将軍塚古墳と埼玉古墳群です。
佐渡島、新潟の旅の帰り道です。

2024年3月 静岡浜松の旅

静岡、御前崎、浜松の観光案内です。
富士山がよく見えます。

2024年3月 マックスファン 外カバーがバタンバタン

強風の中、東名高速下り線を走り降りている最中、マックスファンの外カバーがバタンバタンマックスファンの外カバーがバタンバタンとなりましさた。
よく見ると外カバーを抑えるバネが外れていました。強風で外カバーが煽られたのでしょう。
その後は、風も止んだのと応急処置のおかげで旅を続けることが出来ました。

2024河津桜(2024.2)

河津桜原木

2月に満開の河津桜を楽しみました。
午前中は伊豆河津町、午後は南伊豆町(下賀茂)で夜桜も堪能しました。
2024年伊豆 河津桜の旅

2024初詣(2024.1)

奈良と鎌倉大仏を造った気持ちが分かる

1月中旬に、初詣を兼ねて成田山新勝寺(真言宗)、円長寺(梛の木)、香取神宮、鹿島神宮、龍神社、息栖神社(梛の木)、牛久大仏(浄土真宗)を巡ってきました。

鹿島神宮、香取神宮は神代から伝わる古い神社ですが、なんでこの利根川の河口にあるのか不思議でした。今回はそれぞれの川に面した鳥居を訪れて、利根川の川面を眺める内に神代の情景を思い浮かべ、当時の情勢に思いを馳せました。
要石(鹿島・香取)は関東豪族を抑える

2023秋九州旅 まとめフォト集(2023.10-11)

長旅でしたので、印象深い風景をまとめました。

九州を北上するとヤマト王権と違う世界が見えてきた!(2023.10-11)

薩摩半島には紀元前より大陸、半島から人々がやって来ていました。
キーワードは「支石墓・ドメルン」です。
北上していくと、北部九州、日向とは違う世界が拡がっていました。
そして、神武東征の日向灘北上についても、その下地となる出来事があったようです。
ご覧ください。
九州を北上するとヤマト王権と違う世界が見えてきた!

神武東征の虚実 九州旅で考える(2023.10-11)

何故、神武が日向灘を北上したのか?現地を巡りながら考えました。
神武東征 生まれてから日向出発まで
神武東征 北上する船旅の虚実を追う

2023秋南九州一周の旅(2023.10-11)

九州だけで15泊16日しましたので、盛りだくさんです。
投稿も少しずつ増やしています。

 

神代といわれる日向三代瓊瓊杵 山幸彦 ウガヤ笠沙の岬を訪ね、西郷隆盛西南戦争の足跡を追いつつ、温泉と地元食材を味わう旅でした。
桜島などの名所も逃せません。

先ずは神武東征足跡の、美々津浜速吸門早水姫神社神の井に初見参、最後に宇佐神宮を再訪しました。以上は、日向三代 にまとめたのでご覧ください。

大隅半島南下して最南端の佐多岬に到着して、これで、東西南北の先端岬を制覇しました。

錦江湾の夕陽桜島の噴煙を見てから、地元の隠れラーメンをいただきました。

指宿の砂風呂で足腰を回復させて、薩摩半島西岸を北上して天草に向かいます。

鹿屋の航空記念館と枕崎の戦艦大和の慰霊碑は戦争を思い起こさせます。
薩摩半島西岸には大陸、半島から人々が訪れ(漂着?)ていました。(鑑真など)

天草では隠れキリシタン(潜伏キリシタン)に触れて、バチカン西欧の影響力を感じました。

熊本からは装飾古墳、岩戸山古墳にはヤマト王権への面従腹背と強かさがありました。

ようやく訪れた吉野ヶ里は、甕棺墳丘墓の消長と邪馬台国とのつながりを考えました。

耶馬溪と青の洞門は外せない大分の名勝です。
仕上げは宇佐神宮と国東仏教。磨崖仏では足腰を鍛え、別府温泉地獄巡りで締めました。

宮崎市内、鹿児島市内、熊本市内の繁華街も少し歩いてみました。

九州での走行距離は約1800Km

 

2023北海道 見晴らしの旅(2023.8)

2023北海道 見晴らしの旅
北海道の峠と見晴らしが良かったところです。

厚岸、開陽台、美幌峠は涼しいを通り越して寒かったです。
でも、そこ以外は暑かったという、ヒートショックを経験しました。

東北北海道旅(2023.8)

2023東北北海道は暑かったが美味しかった

今年は北海道の内側を中心に回りました。

全体に暑かったですが、美味しいものも沢山、寒いくらいの所もあり、又、旭川の家具デザインの良さにも感心しました。

リチウムイオンバッテリに換えた(2023.6)

リチウムバッテリに換えた

鉛サブバッテリをリチウムイオンバッテリへの換装しました。(6月実施)
従来は鉛300Ahからリチウム428Ahです。
リチウムの放電特性も合わせて考えると、従来の3倍くらい使える感覚です。

黒部ダムと松代地下壕はタイムトンネル(2023.7)

黒部ダムと松代地下壕はタイムトンネル

梅雨の晴れ間を狙って、黒部ダム(黒四ダム)と松代の大本営跡の地下壕のトンネルを潜ってきました。本来は涼しさを求める旅で、上高地に行きたかったですが諸事情で松代に変更した次第です。

黒部ダムは敗戦の混乱、電力不足を補うため、立山連峰の深い谷に巨大なダムと発電所を造る大プロジェクトです。関電トンネルが有名です。
そして、松代の大本営跡の地下壕は、本土決戦のかけ声の下、戦争末期に天皇と日本軍と政府を疎開させるために掘りました。
まるで、太平洋戦争から続くタイムトンネルのように思えてきました。

戦争について親の世代から伝えられ憶えているのは、学徒出陣した、古参兵にビンタされた、九十九里浜で高射砲を撃っていた、八王子の疎開先で東京大空襲の夜は東の空が赤くなっていた、第一京浜は戦車を通すため拡張された、朝鮮半島でソ連軍に捕まりシベリアに抑留された、空襲で命を落とした、空襲の火の粉をなんとか消して家を守った、小六で学童疎開中に機銃掃射にあい小二の子が背中を撃たれ死んだ、などです。もっと聞いていたのかも知れませんが・・・
聞かされた話はどうしても被害者目線になってしまいますが、事実は事実です。

戦争の背景と二つの責任などを自分たちで考え総括してこなかったのはどうしてか? 戦後は復興さえ出来れば良かったのか? でも今の世の中は捨てたもんじゃない等々、普段考えていない事をを思う旅になりました。昔を思い出してそんな事を考える年齢なのかも知れません。

 

 

紀伊半島一周の旅(2023.5)

5月中旬から、約2週間弱、紀伊半島をほぼ一周してきました。
辿辿記映像(Youtube)をご覧ください。


美味しい食事 それぞれの地で戴きました。全部ではないですが、日にち順です。

<古代を巡る旅>
北桑名神社、迹太川御遥拝所と「くるべ古代歴史館」
    壬申の乱で大海人皇子と”さらら”が訪れた場所を探ります。
    更に、久留倍官衙遺跡(朝明郡)には、聖武天皇の軌跡もありました。
伊勢斎宮跡と鳥谷口古墳 大伯皇女と大津皇子の悲劇の舞台です。
花の窟神社と産田神社は稲でつながる 稲穂を拾い上げたのは伊邪那美と伝わります。
亀の瀬で「古代の奈良湖」を再確認
  神武東征の実相 「奈良湖」が「盆地」に変わっていくもご覧ください。
神武の事績をなぞる 和歌山~畝傍山 神武の事績はほぼ完走。有間皇子もあります。

古代吉野の”時代”変遷の現場を巡りました。
丹生川上神社        ①自然崇拝の代表格(縄文~弥生)
大名持神社と吉水神社の銅鐸 ②出雲勢力浸透期
  奈良の大神神社とヤマト王権の関係が、大名持神社と吉野宮に投影されます。
世尊寺(吉野寺)、勝手神社(五節舞)、浄御原神社(国栖奏)
              ③ヤマト王権支配期 吉野が表舞台になりました。
役小角(役行者)     ④修験道共存の時代 葛城から吉野各地のゆかりを訪ねました。

【吉野の古代は時代を分けて考える】
吉野の各地を巡ると、それぞれの史跡は歴史を積み重ねているので、表層(文字記録の時代)だけを見ても実相は判らなくなります。又、古い時代(縄文~弥生)に拘泥すると、外部から影響を受け変化していった、ダイナミックな時の流れが見えにくくなります。
なので、吉野の古代を四つの時代に分けて、各地を見るようにしてみました。
概ね、吉野だけではなく西日本全体に適用できるのではないかと思います。ただし、銅鐸の広がりと出雲勢力浸透を同列に括れるかは課題です。

①自然崇拝期
~AD3世紀くらい迄は、水中心の自然崇拝と祖霊信仰でした。
その間に大陸、半島から神仙思想が入り、特に龍神(水の神)信仰も生まれました。
②出雲勢力浸透期 
BC3世紀頃からAD4世紀頃迄は、大陸からの鉄の流入と重なり、大国主、少彦名が農地開拓の象徴となります。神仙思想も入ってきてその影響を受け始めました。
銅鐸は極めて少ないです。(熊野ゴトビキ岩、吉水神社の秀吉銅鐸)
③ヤマト王権支配期
AD3世紀末頃から出雲、吉備、九州が交ざりあい、前方後円墳が出現し全国に波及します。7世紀になると、八角墳へ薄葬化し、神仙思想、仏教との融合(神仏習合)が進み始めました。戻って、AD4世紀には、国津神代表として大国主は大神神社(ご神体は三輪山)に祀り上げられ、この地にも大名持神社(ご神体は妹山)が置かれます。更に大黒様、恵比寿様と別名も得て全国に広がります。
④修験道共存期
7世紀から役小角が始め、権現思想が広まり神仏習合が進みました。そのあと、江戸期まで時の政権と一線を画して、山岳信仰へ発展しながら全国に広まりました。
※修験道弾圧期
明治政府は欧米諸国の一神教に対抗するため、現人神信仰を復活させ、神仏習合の総本山であると目された修験道を徹底的に弾圧しました。いわゆる廃仏毀釈です。吉水神社は、元は金峯山寺の一庵でしたが分離させられました。

今回訪ねたところを、地図の上に分けてみました。

 

 

美濃~南信州の旅(2023.4)

4月は、愛知・岐阜から南信州を一週間かけて巡ってきました。
こちらに写真多数、ご覧ください。

北関東の旅(2023.3)

3月は、水戸偕楽園、ひたち海浜公園から益子経由して、渋沢栄一記念館まで。

房総の旅(2023.2)

2月の房総一周旅。早咲き桜でもまだ少しだけ、道の駅保田小学校で売っていた桜は咲きました。

伊豆・箱根の旅(2023.1)

1月終わりに訪れました。もう梅は咲始め、早咲き桜も花を付けています。
春はもうすぐですが、とても寒いです。

”さらら”の懐いと想い 完了 2023.1

持統天皇 ”さらら”は、聡明な少女から、賢い妻で一途な母になり、夫の死後は天皇から上皇になります。王権内では策謀が渦巻き、対外情勢は激変する中で心は揺れ動きますが、日本のかたちを創り永続させる仕組みづくりに心血を注ぎました。

はじめに 目次
第一章 「“さらら”を育てた人々
第二章 「“さらら”は、大海人皇子と共に
第三章 「”さらら”の焦燥と暴走、そして創造
第四章 「“さらら”は高天原に還る」 を掲載しました。
これで、”さらら”の懐いと想いは終了です。是非ともご覧ください。

九州旅まとめ(2022.11) 2022.12

11月の九州旅のまとめです。
古代、中世から現代まで、切れ目なく続いている各地の様子に感動です。
下関編
北部九州編
高千穂で遊ぶ
日向三代に出会いたかったが、護衛艦に会った
都井岬の野生馬と蔀屋北遺跡の馬、そして寒立馬も
卑弥呼の墓はあさくらにある卑弥呼のお墓に登った

 

方丈号 2022年 グレードアップ

ターボキットを取り付けました。パワー不足は解消です。音はちょっと大きい。
クルコンを付けました。 2022.5 10月のターボ取り付けで安定した走りになりました。
ビルトインナビを取り付けた。 2022.4 格好よく取り付けられました。
ラップポンに替えました。 2022.4 緊急用ですが安心感あります。

 

東北・北海道旅(2022.8)

8月の約三週間で、東北、北海道を巡り、今回で、北海道沿岸部一周を達成しました。
東北・北海道の旅 2022 まとめです。
田舎館村の2000年前の水田跡、田んぼアートで有名ですが、古代の田んぼがあります。
網走のモヨロ貝塚館、5~9世紀ごろに栄えたオホーツク海文化の象徴です。
国立民族学博物館(ウポポイ)、アイヌ民族の文化と歴史を展示、ちょっと不足。

信州旅(2022.7)

6月終わりから7月初めに、酷暑を避けて標高の高いところを訪れました。
四道将軍の一人である大彦命のお墓、川柳将軍塚古墳、更に戸隠神社、善光寺をまわりました。
信州旅 四道将軍、ヤマト政権とのつながりを思う

出雲旅(2022.5)

2022年5月出雲旅です。出雲では、神話の世界と実在の世界が混ざりあい、私たちの精神性に大きく影響を与えていると実感しました。
でもまずは、余部鉄橋乗ってみた。です。
出雲旅 出雲のまとめ
出雲旅 伊邪那美/伊邪那岐編 比婆山久米神社、黄泉平坂、
揖夜神社、熊野大社、神魂神社、
眞名井神社、六所神社
出雲旅 素戔嗚尊に出会う 熊野、八重垣、日御埼、須佐、斐伊の各神社、鏡ケ池、金屋子神社
出雲旅 大国主編  
京都亀岡の出雲大神宮、出雲大社、奈良の大神神社

出雲旅 遺跡を巡る 青谷上寺地、妻木晩田、加茂岩倉、荒神谷、西谷墳墓群
最後は、そば巡りで締めです。 出雲そば(二店)と出石そばです。


オートキャンプ 千葉(2022.4)

4月第二週に、千葉県君津市のイレブンオートキャンプ場に、友人とその愛犬と共に
行ってきました。
車の隣で、焚火を囲むのは初めてでした。
焚火に見入ってしまった夜を過ごしました。

古代紀ノ川を遡る 2022.4

日下雅義氏著 地形から見た歴史(古代景観を復元する)では、約1500年前の和歌山県紀ノ川の河口付近の流れを復元しています。
日本書紀にある、五瀬命を葬った「竃山」とその後地元の名草姫(らしい)と戦った「名草邑」は、復元された古代紀ノ川に沿った場所にあります。
更に、日下氏は大阪湾の地形に詳しく、難波宮の周りは海に囲まれていたことを教えてくれます。
古代を語るには、当時の地形、地勢を合わせないと全体像は見えてこないと痛感させられました。
神武進軍ルートを重ねました。

吉備は古代、京都は美味しい食事と怨霊巡り(2021.11-12)

特に、京都ではとても美味しい食事でした。感謝!
詳しくはこちら

東北紅葉と下北半島の旅(2021.10-11)

詳しくはこちら、東北の旅 各地のお店には、連絡先(名前、電話番号、所によっては住所も)を記入して入りました。気仙沼、むつ、他のいずれも美味しかったです。
紅葉、紅葉、又来よう! 寒くなる季節でした。
二人だけの旅となってしまいましたが、新しいところを訪ねてリフレッシュしました。

桜、さくら、サクラの奈良です(2020.春)

吉野から奈良 桜番付 (2020.春)奈良から吉野、どこが一番?
巡る旅Ⅴ 吉野川を下る(2020.春)を神武東征ルートを考えました。

巡る旅Ⅳ 北陸・能登・近江(2019.4-5) 2022.2

巡る旅Ⅳ 能登半島をぐるっと回る途中で令和に替わりました。
山岳信仰、漂着神、天皇事跡ほか、富山湾越しの北アルプスは大伴家持も見た。

 

 

 

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