信州旅 四道将軍、ヤマト政権とのつながりを思う 2022.7

TOPへ戻る

川柳将軍塚古墳
4世紀の四道将軍の一人である、大彦命のお墓と伝わります。
小高い山の上にある大きな古墳です。
上り道は舗装されていますが、狭く、枝が多い茂っているので車での登頂を諦め、麓の小さな駐車場に停めて急坂を歩いて登りました。
ぐるぐると登り、かなり古く読みづらい案内板と休み所がある場所に辿りつきますが、更に頂上を目指します。
往復で5000~6000歩程度の距離ですが、坂なのできつかった。

どこかで同じような雰囲気があったなと思ったら、四道将軍の一人である吉備津彦が葬られている、吉備の中山茶臼山古墳と似ているのではないか、山を利用し麓を見下ろすような古墳であるではないか、と思いました。
又、千曲川の対岸にある森将軍塚古墳とも近さを感じます。

隣の姫塚古墳は未発掘です。近いのでそちらも登りました。

戸隠神社(中社・奥社)
ご神体は戸隠山です。
山岳信仰が盛んで、修験道の大道場として栄えていました。

由緒は天岩戸騒動の時、天手力雄命がこじ開けた天岩戸がここに飛んで戸隠山になりました。
奥社の創建は孝元5年ですが、奥社隣の九頭龍は奥社よりもさらに古いとされています。

元々いたこの地の地主神で、水と豊作の大神のある九頭龍大神が、天手力雄命を受け入れここに祀るようになったと言う事です。
国津神が治める地に、天津神がやって来て、一緒に祀られています。
なかなか、意味深ですね。

川柳将軍塚古墳の主、大彦命は孝元天皇の皇子です。
創建が孝元5年というのは、大彦命の遠征時期と符合します。
大彦命を天手力雄命になぞらえ、ここに祀っているのではないでしょうか?

大彦命は孝元天皇の皇子です。系譜はこちら。

善光寺
皇極3年に、皇極天皇の勅願により創建されました。何故なのか?
その皇子である天武天皇が遷都候補として、長野、信州を挙げていたという話があります。
この信州は、孝元天皇の時代からずっと中央ヤマト政権との関わりが続いていたことになります。

善光寺平には遺跡が多く、南の諏訪、大国主勢力を塞ぐ重要な地でもあります。

番外 ナウマン象
野尻湖畔にナウマン象博物館があります。
ナウマン象は約3万8千年前に絶滅しています。理由は人間が食べてしまったからでしょう。
この信州は、人類の歴史が始まったころから人々の営みが続いてきたと言えます。

TOPへ戻る

コメント

タイトルとURLをコピーしました