持統の生涯を方丈号で辿る 「さららの懐いと想い」

持統の生涯を方丈号で辿る 「さららの懐いと想い」

改訂しました。
その後巡ったところを加え、文章を見直しました。
10章プラス付記が6つと増えていますが、写真、映像を大幅に加えたので、見るだけでも判りやすくなったと思います。
どうぞ、ご覧ください。
2024.12 西忠行(岸本忠也)


 

持統天皇 ”さらら”は、聡明な少女から、賢い妻で一途な母になり、夫の死後は天皇から上皇になります。
王権内では策謀が渦巻き、対外情勢は激変する中で心は揺れ動きますが、日本のかたちを創り永続させる仕組みづくりに心血を注ぎました。
”さらら”が生きた現地を方丈号で辿り、生涯を追います。
”さらら”の想いは、現代の私たちに通じているでしょうか?

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2024.12
持統の生涯を方丈号で辿るWeb
半島との争い(年表)
持統年表

持統の生涯を方丈号で辿る 「さららの懐いと想い」

持統の生涯を方丈号で辿る はじめに・序章

はじめに持統の生涯を方丈号で辿る ーさららの懐いと想いー古代を巡るキャンピングカー旅を始めて8年目になります。最初の長旅で、まだ行ったことのない熊野を目指したところ、海岸沿いに「花の窟」という聞いたことのない神社を見つけました。「花」に関係...
持統の生涯を方丈号で辿る 「さららの懐いと想い」

持統の生涯を方丈号で辿る  目次

目次 第1章 鸕野讚良皇女(うののさららひめみこ)誕生1.“さらら”の由来讃良郡がさらら”の由来/広い讃良郡は「廣野」と呼ばれる/“さらら”はお気に入り2.祖父の庇護と馬飼族祖父倉山田石川麻呂の庇護/馬飼い族に育てられる3.河内は渡来人と先...
持統の生涯を方丈号で辿る 「さららの懐いと想い」

第1章 鸕野讚良皇女(うののさららひめみこ)誕生

第1章 鸕野讚良皇女(うののさららひめみこ)誕生1.讃良郡が“さらら”の由来讃良郡(さららぐん)は、広い野原(廣野)赤枠部が”河内国讚良郡(さららこおり)です。現在の四条畷市とその周辺を合わせた地域です。そして、讃良郡に“うの”(鸕野)とい...
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付記1 蔀屋北遺跡の馬

付記1     蔀屋北遺跡の馬Topへ  目次へ
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第2章 悲しみと喜び

第2章 悲しみと喜び4.祖父と母が相次いで亡くなる祖父は謀殺(649)、母も世を去る(650頃)そして、悲劇が訪れます。西暦649年に、祖父が異母弟の蘇我日向の讒言により中大兄皇子と孝徳天皇に謀られ、山田寺で一族を道連れに自殺に追い込まれて...
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第3章 飛鳥を改造する斉明

第3章 飛鳥を改造する斉明7.皇極時代から雨乞い儀式南無天(なもで)踊り皇極天皇は642年に飛鳥川上流で雨乞いを行い、実際に雨が降ったと伝わります。これは江戸時代に踊られていた舞いを再現しています。明日香村伝承芸能保存会の方々です。雨乞いは...
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第4章 九州遠征で知る先祖

第4章 九州遠征で知る先祖11.百済救済のため総力を挙げた斉明、中大兄皇子は百済びいき崇神天皇以降、日本書紀には新羅との戦争、半島での内部抗争などが記載されています。飛鳥時代の推古天皇の頃からは、倭国(日本)は百済に肩入れして新羅と対立して...
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付記2 邪馬台国は朝倉に在った

付記2 邪馬台国は朝倉に在った邪馬台国は筑後川流域に広がり、平塚川添遺跡がその中心地と思われます。下の拡大図はその中心地である平塚川添遺跡で周辺部には弥生遺跡が点在しています。此処は洪水の心配がなく、吉野ヶ里遺跡の2倍以上面積があります。こ...
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第5章 白村江完敗して、“国家”を意識する

第5章 白村江完敗して、“国家”を意識する15.斉明を亡くす斉明天皇は戦勝祈願した、たった二月半後の661年に亡くなってしまいます。67歳でした。遠征の無理がたたったのでしょう。高齢を押して、何か強烈な思いを持って九州朝倉にやって来て、戦勝...
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付記3 半島との争い

付記3 半島との争い日本(倭国)の半島との争いは、新羅との争いと言ってよさそうです。半島の歴史は、AD1145年完成の三国史記に頼らざるを得ません。完成時から1000年以上も前の記述は信頼できるのかという疑問は湧きますが、倭(日本)との争い...