古代を巡る旅

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瓊瓊杵尊のお墓は三つ 何処が本物?

天孫降臨は瓊瓊杵尊が高千穂峰に降り立つところから始まります。・先ず瓊瓊杵(ににぎ)が笠沙の地で木花開耶姫を娶り、三人の子をもうけます。・子の山幸彦(彦火火出見尊)は海に住む豊玉姫と結ばれ、鵜葺草葺不合命をもうけます。・孫の鵜葺草葺不合命は母...
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山幸彦と海幸彦の物語は、天孫族と隼人族の争い

日向三代の御陵、遺跡図宮崎説は青、薩摩説は赤で示します。宮内庁は明治7年の薩摩案で決めた後、徐々に宮崎・日向説(従来説)に戻っているようです。内容1.海幸彦と山幸彦は血を分けた兄弟か?2.山幸彦の御陵は高屋神社・高屋山稜(宮崎)・那岐(ナギ...
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ウガヤ(鵜葺草葺不合命)の宮殿とお墓です

日向三代の御陵、遺跡図宮崎説は青、薩摩説は赤で示します。宮内庁は明治7年の薩摩案で決めた後、徐々に宮崎・日向説(従来説)に戻っているようです。内容1.宮崎・日向説・砂土原聖地はウガヤの宮殿跡・鵜戸神宮に吾平山稜(参考地)があります・佐土原町...
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神武東征 生まれてから日向出発まで

神武東征の九州にまつわる事跡を、2022、2023年秋に巡りました。神武(神日本磐余彦)が日向を出発して、いくつかの地に寄港しながら遠賀川河口までやってきたと、古事記、日本書紀にはあります。その後、安芸、吉備を経由して近畿に入ります。この物...
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神武東征 北上する船旅の虚実を追う

前号では、神武が生まれ育ったところを訪ねました。ここでは、神武が美々津の浜を船出してから宇佐に立ち寄るところまでを巡り、現地で東遷伝説の虚実を確かめます。内容1.何故、船で日向灘を北上したのでしょうか?2.経由地を訪ねて少し考えました・船出...
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九州を北上するとヤマト王権と違う世界が見えてきた!

内容1.串間の玉壁2.薩摩半島の支石墓(ドメルン)3.装飾古墳博物館を訪問石室内部のレプリカ、文様の意味、面従腹背を表す?4.板石積石棺墓は九州南西部に集中している支石墓・板石積石棺墓・装飾古墳の分布図5.支石墓が大陸江南と半島から伝わった...
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神武の事績をなぞる 和歌山~畝傍山  紀伊半島一周の旅

三年前(2020年)は吉野から吉野川(紀ノ川)を下り和歌山にましたが、今回は和歌山から吉野までさかのぼりました。表題写真は「ポルトヨーロッパ」和歌山ポートシティです。神武は熊野回りで奈良盆地に入ったとされていますが、軍事合理性、日本書紀の日...
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役小角(役行者) ④修験道共存の時代 紀伊半島一周の旅

吉野から葛城にかけて役小角(役行者)の足跡が残り、祀られています。一部ですが訪ねたところを紹介します。役小角(役行者)先ずは役小角(役行者)の像です。金峯山寺蔵王堂は修験道の本山、役小角(役行者)が開きました。いつ見ても蔵王権現は迫力があり...
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世尊寺(吉野寺)、勝手神社(五節舞)、浄御原神社(国栖奏) ③ヤマト王権の時代 紀伊半島一周の旅

世尊寺(吉野寺)御朱印を戴きに上がったら、住職さんが本堂まで上げてくださり説明をしていただきました。吉野寺からの歴史と、この辺りのお祭りはたいそう賑やかで喧嘩が始まるほどだったそうです。丹生川上神社の小川まつりのようです。(丹生川上神社編に...
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大名持神社と吉水神社の銅鐸 ②出雲勢力浸透期  伊半島一周の旅

②出雲勢力浸透期の代表格は、大名持神社と吉水神社の銅鐸です。又、この一帯は飛鳥時代には蘇我氏の所領となっています。大名持神社です。吉野川沿いの旧伊勢街道と旧東熊野街道の分岐点で、後背地に妹山(260m)がありご神体となっています。祭神は大名...