西忠行

持統の生涯を方丈号で辿る 「さららの懐いと想い」

第3章 飛鳥を改造する斉明

第3章 飛鳥を改造する斉明7.皇極時代から雨乞い儀式南無天(なもで)踊り皇極天皇は642年に飛鳥川上流で雨乞いを行い、実際に雨が降ったと伝わります。これは江戸時代に踊られていた舞いを再現しています。明日香村伝承芸能保存会の方々です。雨乞いは...
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第4章 九州遠征で知る先祖

第4章 九州遠征で知る先祖11.百済救済のため総力を挙げた斉明、中大兄皇子は百済びいき崇神天皇以降、日本書紀には新羅との戦争、半島での内部抗争などが記載されています。飛鳥時代の推古天皇の頃からは、倭国(日本)は百済に肩入れして新羅と対立して...
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付記2 邪馬台国は朝倉に在った

付記2 邪馬台国は朝倉に在った邪馬台国は筑後川流域に広がり、平塚川添遺跡がその中心地と思われます。下の拡大図はその中心地である平塚川添遺跡で周辺部には弥生遺跡が点在しています。此処は洪水の心配がなく、吉野ヶ里遺跡の2倍以上面積があります。こ...
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第5章 白村江完敗して、“国家”を意識する

第5章 白村江完敗して、“国家”を意識する15.斉明を亡くす斉明天皇は戦勝祈願した、たった二月半後の661年に亡くなってしまいます。67歳でした。遠征の無理がたたったのでしょう。高齢を押して、何か強烈な思いを持って九州朝倉にやって来て、戦勝...
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付記3 半島との争い

付記3 半島との争い日本(倭国)の半島との争いは、新羅との争いと言ってよさそうです。半島の歴史は、AD1145年完成の三国史記に頼らざるを得ません。完成時から1000年以上も前の記述は信頼できるのかという疑問は湧きますが、倭(日本)との争い...
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第6章 吉野逃避と壬申の乱、天武即位

第6章 吉野逃避と壬申の乱、天武即位19.大津京で律令体制推進大津は交通の要衝西の瀬戸内海側から攻め込まれても、日本海にも、東海地方にも、奈良地方にも逃げられます。百済人集落がすぐ北白村江の戦いで敗れ、大量の百済人が大津京の北側に集落を作り...
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第7章 国造りは途上、夫と息子を亡くす

第7章 国造りは途上、夫と息子を亡くす23.天武即位して国造り開始国造りの施策は前もって考えてあった西暦673年に大海人皇子が天武天皇になってからは、二人で構想した国造りの実現に奔走しました。・官僚の育成(官人、畿外豪族の出仕化)・竜田祭と...
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第8章 即位して遺志を継続、でも後継者が不安

第8章 即位して遺志を継続、でも後継者が不安26.国造りに邁進する今も続く即位儀礼 八八八・・・八ばかり大津皇子を殺したのにそれにめげず、天武が亡くなってすぐに臨朝称制、即位せずに政務を始めました。正式に即位したのは、西暦690年です。その...
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付記4 八にこだわる

付記4 八にこだわる「八」は、最高の数「八」、数の神秘「八」として伝わります。中国の古代では全宇宙を八角形として捉えていたようです。八柱は宇宙を支える想像上の柱です。八角形は、東西南北とその中間を合わせて八方向を表現しているので、神聖な形で...
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第9章 吉野宮滝から高天原へ

第9章 吉野宮滝から高天原へ30.命溢れる熊野熊野は自然信仰の聖地http://熊野速玉大社熊野は山に囲まれ水が豊富で、命が溢れています。日本列島に広く根付いている自然信仰の象徴の地であり、熊野は神武以前から、出雲日本海勢力で発展した“鉄農...